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2009/11/2 信仰によって義とみなされるもしアブラハムが行ないによって義と認められたのなら、彼は誇ることができます。
しかし、神の御前では、そうではありません。
聖書は何と言っていますか。
「それでアブラハムは神を信じた。それが彼の義とみなされた。」とあります。
(ローマ4:1-3) パウロは、アブラハムの出来事を通して、信仰とはどういうことなのかを語られました。
彼は75歳の時に、自分が行く所がどこかも分からずに、神様の御声に聞き従う中で、
自分の生まれ故郷を出て行きました。
86歳までは行ったり来たりという状況。
86歳から99歳までは、神様に一度も声をかけられませんでした。
しかし99歳の時に神様は、「本物の信仰をもって、神様を信じて歩みなさい。」と語られました。
そして、彼に子供を与えると言われたのです。
アブラハムは99歳。妻のサラは89歳。
彼は、自分にはできない、神様にしかできないと悟り、信仰を持ったのです。
翌年、彼は100歳にして、イサクという息子が与えられました。
しかし、しばらくして神様は、アブラハムに「最終試験」をしました。
それは、「イサクをいけにえとして神様にささげなさい。」というものでした。
翌朝彼は、イサクとともに出かけていきました。
いけにえをささげる場所に着くとイサクは、「火とたきぎはありますが、全焼のいけにえは
どこにあるのですか。」と聞きました。
アブラハムは「神ご自身が全焼のいけにえの羊を備えてくださるのだ。」と答えました。
そして、イサクを縛り、まさに刀をほふろうとした時、主の使いが彼を呼び、
「あなたの手を、その子に下してはならない。あなたが神を恐れることがよく分かった。」
と仰せられました。
その時、やぶに一頭の雄羊がいて、それを自分の子イサクの代わりにいけにえとしてささげたのです。
アブラハムは、後先のことも何も分からずに、これらのことを体験していったのです。
自分の将来はどうなるだろうか?家族の将来はどうなるだろうか?
…それは、誰にも分からないのです。
でも、アブラハムが神を信じて歩んでいったように、私たちも神様を信じて歩んでいくのです。
望みえないときに望みを抱いて信じること(ローマ4:18)、これこそが信仰です。
何か頑張ったから神様は認めてくれるのではなく、イエス・キリストを信じる信仰によって、
神様は「よし」として下さるのです。
何か聖くなって、完成されていくのがクリスチャン生活ではありません。
信仰生活が長ければ長いほど、神によりすがらなければ生きていけない。
これが、クリスチャン生活なのです。
「信じる」ということがすべての始まりです。
神様にはできると信じて、疑わないで歩んでいくのです。
大きな信仰をもって、大きなビジョンをもって歩む者とならせて頂きましょう。 引用通告引用此项的网络日志
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