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28/09/2009 収穫は多いが、働き手が少ない。それから、イエスは、すべての町や村を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、
あらゆる病気、あらゆるわずらいを直された。
また、群集を見て、羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている彼らをかわいそうに思われた。
そのとき、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。
だから収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。」
(マタイ9:35-38) 秋になると、様々な収穫を見ることができます。
また、私たち一人ひとりにおいても、様々な収穫があることでしょう。
良いものを蒔けば良いものを刈り取るし、悪いものを蒔けば悪いものを刈り取らなければなりません。
皆さんは、どのような収穫を願っているでしょうか。
そして、そのためにどのような種まきをしているでしょうか。
ここでは、イエス様が中風の人を癒される出来事がありました。
また12年間長血をわずらっていた女性が、イエス様の着物にさわることができれば直ると
信仰を持つ中で着物にさわり、イエス様がそれに応答して
「あなたの信仰があなたを直したのです。」と宣言される中で、女性は癒されました。
また、死んだ会堂管理者の娘も生き返らせました。
イエス様は病気の人々を癒され、また、罪人や取税人といった人々に嫌われる人たちを
仲間にしながら、一緒に食事をされました。
私たちは、イエス様から学ぶ必要があるのです。
そして、12年間長血をわずらっていた女性がイエス様に近づいていったように、
私たちもイエス様に近づかせていただくのです。
イエス様は、すべての町や村を巡って福音を宣べ伝えられました。
私たちも、教会の外に出て行き、あらゆる方面へ、そしてありとあらゆる方法を用いて、
色々な人たちにイエス様の素晴らしさを宣べ伝えていくのです。
御国の福音、つまり天国に入ることができるというグッドニュースを伝えていくのです。
みんなが同労者となって、福音を伝えていくのです。
そして、聖書の御言葉に触れる中で、霊的な栄養をもらっていくのです。
「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの言葉による。」
とイエス様も言われました。
それがなかったら、「羊飼いのない羊」のように迷ってしまいます。
霊的な栄養をもらう中で、前に向かう力を頂くのです。
イエス様の弟子たちも、聖霊が降る中で燃やされ、至る所に出て行って、
福音を宣べ伝えていきました。(マルコ16:20)
私たちも、沢山の収穫を見る者とならせて頂きましょう。
みんな大切な働き人です。
私を通して、多くの人が神様に出会うことができると信仰をもって前進していきましょう。 23/09/2009 偉大な同労者たちケンクレヤにある教会の執事で、私たちの姉妹であるフィベを、
あなたがたに推薦します。 (ローマ16:1) ローマ人への手紙16章1節から16節には、37人もの名前が書かれています。
この人たちは皆、神の働きを行なっていた人たちで、皆、大切な人たちだったのです。
神の働きは、決して一人でできるものではありません。
多くの人たちの協力によって成されるものであり、人数が多ければ多いほど、
その働きが力強くなされるものです。
パウロは、数百人がやってもやり遂げることができないほどのことを成し遂げました。
あらゆる所に教会を建て、指導し、そこにクリスチャンの群れを興したという、
神に用いられた英雄でした。
しかし、パウロがそれほど多くのことを成し遂げたのは、
パウロの一人の力によって成されたものではなく、多くの信仰の同労者がいたからです。
パウロは、同労者の協力によって、力強い働きがなされたのです。
彼の本当の偉大さは、人々を用いることができたということにあったのです。
私たちは、何でもできて才能豊かな人が素晴らしいと思いがちです。
しかし、一人の力には限界があるのです。
すべてのことを自分でやろうとする人がいます。
他の人に任せることができず、他の人がもたもたしているのを見ていられないのです。
そのような人は、結局疲れてしまうのです。
一生懸命頑張っているのに、いつもボーッとしてしまったり、眠ってしまったりするのです。
それは、知恵がないのです。
能力にあふれている人は、人に任せないで自分でやってしまい、
指導者として成功しない可能性があるのです。
大きなことを成すことができる人は、人を動かすことを学んだ人なのです。
使徒の働きを見ると、
「そして、私たちは、もっぱら祈りとみことばの奉仕に励むことにします。」(使徒6:4)
とあるように、使徒たちは祈りとみことばの奉仕に力を使い、
残りのすべての働きは他の人に委ねてやってもらうという形を取ったのです。
人を動かすことをしていったのです。
人を見る時、その人の能力・学力・知識・財力などを見やすいものです。
けれども、宣教においてそのことが通用しないことが多いのです。
その人の力よりは、その人の動員できる同労者の力の合計のほうが
はるかに上であることが分かるのです。
多くの人を動かすことのできる人が、神の前で用いられる人物なのです。
パウロは、それができた人物だったのです。 (HCC32周年記念礼拝での、榊山清志先生のメッセージより。) 15/09/2009 主を求めよ イザヤ55:6-11天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、
わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。 雨や雪が天から降ってもとに戻らず、必ず地を潤し、それに物を生えさせ、 芽を出させ、種蒔く者には種を与え、食べる者にはパンを与える。 皆さんは、大きな夢を持っているでしょうか。
色々な心配を持っていたら、前に向かうことができません。
しかし、イエス様がともにいて、人生のハンドルをイエス様に握っていただいたら、
素晴らしい所へ導いて下さるのです。
人生には、様々なチャンスがあります。
そのチャンスは、信仰によってもらっていくのです。
バルテマイという盲人のこじきが道ばたで座っている時、
イエス様が通られると聞くと、「ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください。」
と叫びました。
回りの人たちは彼を黙らせようとたしなめましたが、彼はますます叫び続けました。
イエス様は彼に目を留め、「わたしに何をしてほしいのか。」とたずねました。
すると彼は、「先生。目が見えるようになることです。」と答えました。
イエス様は彼に、「さあ、行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです。」と言われました。
すると、すぐさま彼は見えるようになったのです。(マルコ10:46-52)
バルテマイにとっては、このイエス様が近くに来られた時が、チャンスだったのです。
今日、この時に恵みを下さいという人に、主は恵みを下さるのです。
自己流の道を行ったり、己の道を行く者になるのではなく、
それを捨て、神様に明け渡していくのです。
自分で計画することを捨てて、神様に明け渡していくのです。
かつて東京にディズニーランドを造ろうという計画が日本にもちかけられた際、
その関係者の多くは反対しました。
東京には、そのような広大な土地がなかったからです。
しかし、アメリカ人の企画者は言いました。
「東京には海がある。そこを埋め立てれば、可能だ。」と。
その意見に納得し、東京ディズニーランドはできたのです。
彼らは大きな夢を持っていたので、将来がすでに見えていたのです。
「自分の考え」というものは、ちいさなものです。
神の計画は、自分の考えをはるかに越えています。
神の目で見たら、私たちはもっと大きな夢を持つことができるのです。
神様は私たちに、希望を与えて下さるお方です。
マタイ7:9-10には、「自分の子がパンを下さいと言うときに、だれが石を与えるでしょう。」と、
また「子が魚を下さいと言うのに、だれが蛇を与えるでしょう。」とあります。
神様は、豊かな恵みを与えて下さるお方です。
自分の能力や財産に目を留めるのではなく、豊かな神様に目を向け始め、
神様からの祝福で満たす者とならせて頂きましょう。 08/09/2009 人知をはるかに越えたキリストの愛 エペソ3:17-19人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。
こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。 神様は、どこにおられるでしょうか?
もちろん、天国にもおられますし、私たちの横にもおられます。
それと同時に、私たちの心のうち、心の奥底に住んでくださるお方であることを
知って頂きたいのです。
18節ではイエス・キリストの愛について、
「その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるか」と表されています。
まず一つ目に「広さ」ということですが、人間の愛というものは本当に狭いものです。
自分のことを愛してくれる人は愛するが、そうではない人を愛することは、
なかなかできないものではないでしょうか。
ペテロは、イエス様の弟子として三年間共に生活をしてきました。
しかし、いざイエス様が十字架に架けられようとする時に、ペテロは人々を恐れて、
イエス様を知らないと三回も言ってしまいました。
このようなペテロに対しても、イエス様は広い愛で彼を愛して下さいました。
第一ペテロの2章22-25節には、イエス・キリストの広い愛について書かれています。
ののしられても、ののしり返さず、苦しめられてもおどすことをせず、
正しくさばかれる方である父なる神様にお任せになり、
自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負って下さったのです。
その うち傷の故に、私たちは罪から救われるのです。
また、イエス・キリストの愛の「長さ」についてですが、
「主の救いは忍耐である」とあるように、イエス様は忍耐深く、あわれみ深いお方です。
また、七度を七十倍するまで赦して下さる(マタイ18:22)お方です。
人を赦すこと、これは主が喜ばれることなのです。
また、「高さ」についてですが、イエス様は、私たちの罪のために、
すべてを捨て去って、晒し者にされ、裸にされ、十字架に架かられたお方です。
人間的な愛は本当に薄っぺらなものですが、神様の愛は違うのです。
私たちの罪のために、たった一人の御子であるイエス・キリストを遣わして下さり、
永遠のいのちをお与えになるお方なのです。
それから「深さ」についてですが、人の心というものは、
その人について色々と知っていくと、様々な思い違いなどがあったり、
失望を感じたりするものではないでしょうか。
しかし、イエス・キリストは、どこまででも愛して下さるお方であり、
失望させられることは決してないのです。
この、人知をはるかに越えたキリストの愛を知り、
この愛の中に生きることができたら、どんなに素晴らしいことでしょう。
人生の成功者…それは、神とともに歩む者なのです。 |
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