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29/09/2006 心の目がはっきり見えるようになる エペソ1:15-23また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、
神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、
聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、
また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く
神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、
あなたがたが知ることができますように。
(エペソ人への手紙1章 18-19節)
私たちには、神様から与えられた二つの肉眼があります。
しかしイエスキリストを信じる信仰によって、神様は、
もう一つの目を与えて下さったのです。
それは、心の目であり、信仰の目です。
パウロはエペソの人たちに、肉眼の目で生活するのではなく、
信仰の目が開かれて、いよいよ主のために前進しなさいと、
この手紙を通して伝えられました。
心の目が開かれると、偉大な神のエネルギーを体験し、
神の全能の力を信じて生活することができるのです。
世の中には、「もし神様がいるのなら、手のひらに出してみろ」
などと言われる方がいます。
しかし心の目が開かれると、
私たちこそが、神様の手のひらに握られているのだということに
気づかされるのです。
心の目が開かれると、物事の見方が変わってくるのです。
神様を大きく捉え、神の御業を期待して歩むことができるのです。
マルコの福音書16章16-18節には、イエスキリストを信じる者が
あずかる事ができる特権について書かれています。
イエス様を信じることにより私達は神の相続人となり、
神の特権を頂くことができるのです。
毎日の生活の中で、主は祈りに答えて下さるお方です。
私達は心を出して、この「主」に自由に祈ってよいのです。
また、神様から与えられたものを、主の働きの為に使っていくのであれば、
主は、さらに豊かな恵みで見たして下さいます。
心の目がはっきり見えた時、その時こそ神様が分かるようになる時なのです。 22/09/2006 神にはどんなことでもできるのです マタイ19:26それは人にはできないことです。
しかし、神にはどんなことでもできます。 何か主のために役に立ちたいと、頑張って臨んでみる時、
自分が何もできないということを学ぶでしょう。
そして、「何もできない」というところに立つ中で、
主を見上げ、主とともに歩む時、
神様にはどんなことでもできる、という恵みを知るようになるのです。
うまくいかない、できない時こそ、
神様からの豊かな恵みを知ることができるのです。
それは、主が私たちを整え、最善をもって導き、
恵みを与えようとして下さるからなのです。
また、うまくいかないと、これは御心ではないと
片付けている方はいないでしょうか?
自分の頑張りや努力では何もできません。
主に目を向け、主を見上げ、前進する時、恵みに開かれるのです。
私たちは小さい時から、自分で何か頑張るように、一人前になるように、
人様の役に立てるように教えられてきました。
しかし聖書では、わたしのところに来なさい、わたしを信じなさいと語っています。
このような「任せる」「委ねる」ということがわからずに、
苦しんでいる方が多いのです。
問題や困難が問題なのではなく、
この問題を通して、主に目が留まらないのが問題なのです。
様々な問題を通して低くなった時、主が見え始めるのです。
ここに素晴らしい恵み、祝福があるのです。
このことを通して、素晴らしい主を知り、恵みをもらう人とならせて頂きましょう。
聖書の中には、奇跡や癒し、知恵など、
驚くべきこと、信じられないことが沢山出てきます。
救いそのものも、私たちの力ではできません。
しかし、人にはできないことも、神にはできるのです。 私たちが、いつも目を留めなければならないのは、
この、どんなことでもできる「主」なのです。 08/09/2006 下に根を張り、上に実を結ぶ イザヤ37:31ユダの家ののがれて残った者は、下に根を張り、上に実を結ぶ。
私たちは誰でも、生活の中で実を結びたいと願うものです。
そして、その実が早く成るようにと願うものです。
祈りも早く答えられるように、早く成長できるようにと願うものです。
そして、たくさんの実を期待するものです。
しかし、この御言葉にあるように、私たちは (御言葉に・神様の御心に)よく根ざしているのか、
問いただして頂く必要があるのです。
芸能人であっても、突然成功する人の中には、そのことで有頂天になって、
高ぶってしまってダメになってしまう人もいるそうです。
クリスチャン生活も同じように、本当に主に根ざし、御言葉に根ざしていなければ、
実を結ぶことはできないのです。
イエス様はいつも私たちに、低くなるように、今以上にもう一つ低くなるようにと教えておられます。
起こってくる様々な出来事を、全部感謝していくのです。
良いことも、悪く見えることも、逃げたくなるような出来事も逃げないで、
全部感謝していくのです。
すべての出来事が栄養となり、私たちは成長していくことができるのです。
感謝することが遅れてはいませんか。
そのような者にならないで、すぐに感謝していくのです。
10人のらい病人がイエス様に出会って癒された時、そのうちの一人はすぐにイエス様のところに行き、
ひれ伏して感謝をささげました。(ルカ17:11-19)
私たちもこれに倣い、主のみなをあがめ、低くなってひれ伏す者とならせて頂きましょう。
私たちが神様にしっかりと根ざす時、目に見えない中で、主は豊かな実を与えて下さいます。
祈りが一年、二年・・・と続く時であっても、すべてを感謝し、忍耐して祈り求める者とならせて頂きましょう。 01/09/2006 気前のいい神様~天の御国のたとえ マタイ20:1-16当時のイスラエルは、ぶどうの収穫期のすぐ後に雨季がやってきました。
ですから、早くぶどうの収穫を終えないと、ぶどうが売り物にならなくなってしまいます。
そのため、このぶどう園の主人は、急いで労働者を探しに出かけていったのでした。
また、当時は、朝6時から夕方6時までの12時間労働で、給料は日払いであるのが普通でした。
主人は、朝早く出て行き、労働者と1日1デナリの契約をしました。
またぶどう園の主人は、数時間ごとに出掛けていき、仕事がなくて立っている人たちに声をかけ、
ぶどう園で雇いました。
ある人は12時から、ある人は3時から、ある人は夕方5時にやっと仕事にありつくことができました。
そして夕方、給料が支払われたのですが、朝早くから働いていた人に1デナリが支払われたばかりでなく、
どの人にも、夕方の5時からたった1時間しか働かなかった人にも、同じ1デナリが支払われたのです。
この主人の姿は、神様の姿におきかえることができます。
神様はとても恵み深い、豊かな方です。
人は、「これだけ働いたら、これだけもらえる。」と計算します。
働いた量と与えられるものは比例していると考えますが、
神様の前には、みんな平等で、どんなに弱くても足りなくても、
神様は「同じ恵みを与えたい」と考えているのです。
イエス様と共に十字架につけられた一人の強盗は、死の6時間前に回心し、救われました。
悔い改める者に神様は、どこまでも深い恵みをお与えになるお方です。
だから、どんな奉仕にも、仕事にも、恵みを下さるという生きた信仰をもって、恵みを求めていきましょう。
人の弱さ、罪深さに重点を合わせてつぶやく者になるのではなく、
天国に基準をおいて、恵み深い神様の前に出て、その恵みを頂く者とならせて頂きましょう。 |
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