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30/07/2007 失意も祝福に変わる ルカ5:4話が終わると、シモンに、「深みに漕ぎ出して、網をおろして
魚をとりなさい。」と言われた。 ペテロは漁師でした。
彼らは夜通し働いたのですが、なに一つとることができなかったのです。
漁師たちは、失意の中で、船から降りて網を洗っていたことでしょう。
イエス様はその時、「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい。」と言われました。
今まで真面目に一生懸命、夜通し働いても何の収穫もなかったのですが、
ペテロはイエス様のお言葉どおりに従っていったのです。
そして、そのとおりにする中で、今度はたくさんの魚が入り、
網が破れそうになるほどの、そして二そうの船が沈みそうになるほどの大収穫を
得ることができたのです。
石川啄木の代表的な歌の中に、「働けど働けど、わが暮らし楽にならざり。じっと手を見る。」
…というものがあります。
この歌のように、「こんなに真面目に頑張っているのに、なんでうまくいかないのだろう。」とか、
「こんなに一生懸命やっているのに、なんで報われないのだろう。」
「自分が悪いのだろうか?それとも環境のせいなのだろうか?」
…そのように感じている方は、いらっしゃいませんか。
もし、そのような乏しさや空しさの中を歩んでいるのであれば、
是非イエス・キリストとお会いして、御言葉を信じて、
聖書にある恵みの中を歩んでいただきたいのです。
夜通し働いてもなに一つ取れなかったペテロが、イエス様のことばに従った時に、
大収穫を得たのです。
今日、皆さんの人生にも、イエス様とともに歩む中で、
同じ恵みにあずかることができるのです。
そして、新しい恵みにあふれるのです。
今までになかったことが、始まっていくのです。
日々の生活の中で、様々な困難や疲れなどの現実に遭遇します。
しかし、そのような状況でも、イエス・キリストはあなたの所に来て下さいます。
問題の解決は、イエス・キリストにあるのです。
私たちの心の傷を癒し、どんな罪も癒し、私たちを変えることのできるお方なのです。
イエス様はペテロに、10匹の魚を与えたのではありません。
主が与えて下さる恵みは、中途半端な与え方ではありません。
あふれるばかりの祝福を、私たちに注いで下さるのです。 24/07/2007 賛美は奇跡を起こす 使徒16:31-34主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。
パウロとシラスは、占いの霊につかれた若い女奴隷に出会いました。
パウロは彼女からその霊を追い出したのですが、
彼女の主人たちは、(占いによって)もうける望みがなくなったことで、パウロとシラスを捕え、
二人は投獄されてしまったのです。
しかし、パウロとシラスは、そのような大変な状況の中でも、
神に祈り、賛美をささげていました。
霊的な賛美は、人の心をも動かします。
彼らの賛美は、他の囚人たちも聞き入っていたのです。
その時です。賛美を通して、地が揺れ動いたのです。
獄舎の土台が揺れ動き、とびらが全部開いて、囚人たちの鎖が解けたのです。
看守は、囚人が逃げてしまったと思い、自殺しようとしたのですが、
パウロは大声で、「自害してはいけない。私たちはみなここにいる。」と叫んだのです。
その中で看守は、「救われるためにはどうすればいいのか。」と尋ねました。
パウロとシラスは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」
と言われたのです。
そしてその夜、彼とその家族全員が救われたのです。
地震が起きる中で、パウロとシラスは、チャンスをもらったのです。
この中で主の御言葉が語られ、福音が伝えられたのです。
私たちも、毎日の生活の中で、この、主の御業を見させて頂くのです。
「主イエスを信じる」…これがスタートなのです。
もっともっと聖霊の力を頂いて、大胆にイエス様を証しする者とならせていただくのです。
福音のために生きる人、福音のために献身する人は、
必ず祝福を頂くことができるのです。
パウロとシラスの姿勢にならい、私たちも人々の救いのために熱くさせて頂き、
福音のために前進する者とならせてもらいましょう。 20/07/2007 力を受ける 使徒1:8しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。
そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、 わたしの証人となります。 私たちは神様の恵みに開かれた時、生き方が変わります。
クリスチャンに与えられるのは、神の力です。 神からの力によって、私たちは、力ある働きをしていくことができるのです。
イエス様は最初、「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を
待ちなさい。」(使徒1:4)と語られました。 これは、聖霊に満たされて、自分自身が変わっていくためなのです。
そして聖霊に満たされた時、神の力を受けたら、
今度はエルサレムに留まるのではなく、全土に出て行くのだと語られました。 聖書の中でも、聖霊の力をいただいて、別人のようになっていった人がいます。
ペテロは、イエス様が十字架に架かられる時、
3回も主を否んでしまった者でしたが(ルカ22:56-60)、
聖霊に満たされた時、彼のことばを受け入れた人が、
三千人ほど救われたのです(使徒2:41)。
ここに出てくるペテロとヨハネは、無学な普通の人だったといいます。
それゆえに、このような救いや癒しの御業を、人々は驚かれたのです(使徒4:13)。
しかし、それとともにはっきりと人々に分かったのは、彼らが、
イエス様とともにいたということなのです。
大切なのは、この「イエス様とともにいる」ということです。
イエス様の名を通して働く時、人間的にではなく、聖霊様が働かれるのです。
私たちが、何かをやるのではないのです。
神様の恵みに満たされる中で、信仰を持って大胆に祈り、前進させて頂くのです。
エルサレムに留まっていた使徒たちは、やがて出て行き、
ついにはローマまで行かれました。
私たちも、日本の、そして世界中のリバイバルのために、
毎日毎日、切に祈り求める者とならせて頂きましょう。 13/07/2007 力と愛と慎みとの霊 Ⅱテモテ1:7神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、 力と愛と慎みとの霊です。 神の力は、人間的な力ではありません。
イエス様の弟子たちも、力のないおくびょうな人たちばかりでした。 しかし、彼らが聖霊の力を頂いた時、大胆に伝道することができるようになったのです。 私たちはこの力を、自分のために用いるのではなく、
神様の働きのために用いさせて頂くのです。 自分の力で何かをやることは、難しいことです。
しかし、神様の力で満たされるのなら、自分の能力や経験によるのではなく、
働きを進めることができるのです。
おくびょうな人、引っ込み思案な人、びくびくしている人、弱くて足りない者であっても イエス様のことを証しし、そしてわくわくしながら前進することができるようになるのです。
だから、毎日、神の力を求めるのです。
二番目に、愛。 親子の愛、夫婦愛…世の中には様々な愛があります。
愛は見えないように思われますが、その人の様々な働きを通して、 愛を見ることができるのです。
ここでいわれている愛は、アガペーの愛、神様の愛です。
神様を愛し、人々を愛し、教会を愛する…これは、神様から与えられた愛です。 イエス様を三回否んだペテロも、神様からの愛を頂き、 「わたしの羊を飼いなさい。」(ヨハネ21:15-18)と牧会者になっていったのです。
「愛」の反対は、「無関心」だといわれています。 私たちも無関心にならないで、神様の愛を頂いて歩む者となって、前進してきましょう。
もう一つは、慎みの霊。自分が出過ぎるのではなく、いつもイエス様の十字架を誇りとし、
謙遜と自制をもって歩んでいくのです。
人を自分よりもまさった者だと思い(ローマ12:10)、
その人から良いものをたくさん吸収していくのです。
謙遜な人、身を低くする人は、必ず祝福されるのです。 イエス様がそのようなお方だったので、私たちもイエス様を模範としながら、
生活させていただくのです。 06/07/2007 お一人お一人を愛して下さる ヨハネ3:16神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、
永遠のいのちを持つためである。 聖書は、世界で、年間6億冊も印刷されている、大ベストセラーです。
そして現在、世界中の人口の97%の人々が読むことができるほどに、
様々な言語に翻訳されています。
この、世界一のベストセラーである聖書が一番言いたいこと、
また、神様が私たちに一番伝えたいことが、この"聖書の中の聖書"ともいわれる、
ヨハネの福音書3章16節の御言葉なのです。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、"世" を愛された。」
……この、"世"というところに、あなたの名前を入れてみて下さい。
そうすると、この御言葉が、よく分かるようになります。
「恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。
あなたはわたしのもの。」(イザヤ43:1)
…神様は、私たちの名を呼んで、お一人お一人を愛して下さるお方です。
この神様の愛を受け取るとき、どんな人でも変わることができるのです。
神様は、たったひとりの子、イエス・キリストを十字架につけるという大きな代価をもって、
皆さんお一人お一人のために、命を捨てるほどに愛して下さるお方なのです。
神様を知ることによって、喜びと祝福の人生を、そして恵みの中を歩むことができるのです。
また、永遠のいのちをもつことができるのです。
人は、死んだ後でさばきを受けなければなりません。
本来、罪を持った私たちは、地獄に行かなければならない者だったのですが、
神様がこの地上におくって下さったイエス・キリストにより、私たちの罪は赦され、
永遠のいのちが、そして天国行きの切符が与えられたのです。
―2007年7月1日 ライブチャーチ甲府教会 牧師 友田典男先生のメッセージより |
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