Profilo di HCC LIVE CHURCH...HCCライブチャーチ磐田FotoBlogElenchi Strumenti Guida

Blog


28/07/2006

主は私の羊飼い  詩篇23:1-6

主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。
 
 
ダビデは小さい頃、羊飼いをしていました。
山や野原で寝泊りし、羊と共に生活をしていました。
ダビデはその生活の中で、神様は私たちの羊飼いであり、
私たちは羊であることを知ったのです。
 
羊は「安心できない」動物だそうです。
鼻の周りをハエが飛んでいるだけで、神経が参ってしまい、
そのことで死んでしまう羊もいるそうです。
羊飼いは、どんなハエがやってきても大丈夫なように、
羊の鼻の頭に油を塗るそうです。
 
私たちの生活の中にも、様々な問題がやって来ます。
今現在よく言われているのは、平安がないということでしょう。
地震や災害はもちろんのこと、多くの人々が、様々な不安を抱えています。
現在、毎年3万人という人が自殺しています。
何のために生きているのかわからないという不安があるのです。
 
羊も一匹では生きていけないのです。
「ここに餌がある」ということを、自分では見つけることができないし、
狼やライオンなどの敵に立ち向かっていく力も武器もないのです。
私たちも、どうしたらよいのか分からない問題に直面することはないでしょうか。
もしそうであるなら、神である主に心を向けられてはいかがでしょうか。
 
神である主は、私たちの経験や思いをはるかに越えた、
豊かな恵みを与えて下さるお方です。
大きな宇宙を造られたのと共に、小さな素粒子をも造られたお方です。
そして、羊を愛している羊飼いのように、私たちを
とてつもない愛で愛して下さるのです。
どんなに落ちぶれてしまっても、神様は、一方的な愛、無条件の愛、
永遠に変わらない愛で愛して下さるお方です。
 
私たちは傷つきやすく、ちょっとした一言で落胆してしまう者ではないでしょうか。
しかし、主が共にいるという中で、私たちは勇気付けられ、
心から喜んで生活することができるのです。
神様の愛を土台に据えて生活をする人は、決して乏しいことがないのです。
21/07/2006

愛の交わり   Ⅰコリント13:4-7

愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。
愛は自慢せず、高慢になりません。
礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、
不正を喜ばずに審理を喜びます。
すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。
 
  
今は、とても便利なハイテクの時代になりました。
しかし、便利になると同時に、だんだん心が見えなくなってきているということは
ないでしょうか。私たちの生活の中で、働きの中で、愛の実践を少し行っただけでも、
大きな変化が出てくるのです。
ちょっとした挨拶、ちょっとした笑顔・・・。これだけで変わってくるのです。
この、ほんのちょっとした愛の交わり、愛の実践がどれだけなされているでしょうか。
 
 
また、へりくだるということ、これは「人を見たら、自分よりも優れたものと思いなさい。」
というものです。どの人を見ても、人の素晴らしい点を数えてあげたらよいのです。
そこには大きな恵みがあります。
 
 
また、相手の側に立っていつも話をしてあげることが大切です。
いつも時間に遅れる、いつも自分のことを話す、自分の都合で物事を判断する、
・・・これは愛を実践しているといえるでしょうか?
自分の都合ではなく、相手の都合で話をしてあげたら、どれだけ大きな恵みを
受けることができるでしょうか。
 
 
また、相手の未来を信じて、信仰を持って励ましていきましょう。
「あなたは素晴らしくなりますよ。」という具合に行うのです。
 
 
今日、あなたの身の回りに、愛の実践が必要な状況はあるでしょうか。
私たちをいつも励ましてくださる方は、イエス・キリストです。
あなたの未来を信じ続けているのが、イエス・キリストです。
ハイテクの時代だからこそ、このイエス・キリストにならって、
心に触れる愛の実践をする者とならせて頂きましょう。
 
07/07/2006

信仰を持つ   マタイ15:21-28

そのとき、イエスは彼女に答えて言われた。
「ああ、あなたの信仰はりっぱです。その願いどおりになるように。」
すると、彼女の娘はその時から直った。
 
 
この箇所で出てくるカナン人の女性の娘は、偶像礼拝をしていたために、
ひどく悪霊に取りつかれていました。
その娘の母親であるカナン人の女性は、イエス様の所に近づいて、叫び求めたのです。
 
最初に叫び求めた時、イエス様は彼女に一言もお答えになりませんでした。
そして二回目、今度は、「わたしは、イスラエルの家の滅びた羊以外のところには
遣わされていません。」とお答えになりました。つまり、イスラエルと当時
敵対関係にあったカナン人のあなたには関係がないと答えたのです。
 
そして三回目・・・。
今度は、「子供たちのパンを取り上げて、子犬に投げてやるのはよくないことです。」
と彼女を子犬呼ばわりしました。
 
イエス様はなぜ、カナン人の女性に対してこのように接したのでしょうか。
 
イエス様は、彼女の本当の気持ち、本当の心が知りたかったのです。
 
彼女は子犬呼ばわりしたイエス様に、
「子犬(のような私)でも、食卓から落ちるパンくずを頂くことができます。」と
答えました。それに対してイエス様は、「あなたの信仰は立派です。」とお答えになり、
彼女の祈りに答えて下さり、娘は癒されたのです。
 
イエス様は、本気で求めてくる人に対して、そのまま見過ごして帰すことは、
なさいませんでした。
なかなか祈りが答えられない時、そこには大きな意味があるのです。
そういう時こそ、神様とよく交わり、霊的な準備をしていくのです。
時には、避けたくなるような状況を迎えることがあるのかもしれません。
しかし、どのような境遇の中でも、神様の栄光をあらわし、
聖書に合わせて従っていくなら、主は素晴らしい恵みを必ず与えて下さいます。
いつも御言葉に合わせ、神様の喜ばれる歩みをする者とならせて頂きましょう。