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30/06/2008

真剣な求め        ローマ 9:3

 
 
もしできることなら、私の同胞、肉による同国人のために、この私が
キリストから引き離されて、のろわれた者となることさえ願いたいのです。
 
 
パウロは、同国人の救いに対する祈りは、痛みのある祈りでした。
その痛みをもって、熱い心をもって、主の前に出ていました。
「何とかして、この人たちに救いを下さい。」と祈ったのです。
「私がのろわれてもいいので・・・。私はどうなってもいいので、同胞を救って下さい。」
・・・このような祈りの姿勢、あなたにあるでしょうか。
それとも、自分のためだけに祈っていたでしょうか。
 
 
日本の多くの人は、まだイエス・キリストの救いに預かっていません。
皆さんの家族・親族・友達、それらの人々のために、本当に熱い心を持って祈っていますか。

モーセが、シナイ山にのぼって神様と交わっている時、民は偶像を造ってたわむれていました。
モーセは、そのような状況を見た時、主に心を注いで祈りました。
「主よ。彼らの愚かしさを赦して下さい。彼らをあわれんで下さい。
もし、彼らの罪が赦されないのなら、どうかあなたの書物から私の名を消し去っても結構ですから、
彼らをあわれんで下さい。」

私たちも、同国人のために、痛みをもって、切実に、「何とかして!」という思いをもって
歩ませて頂くのです。

私たちの周りの多くの人が、本当は福音の必要を求めながら生活しています。
しかし、福音に接する機会がない、それを伝えてくれる人がいない。そのような状況を見るのです。

「この人には、福音は必要ではないのではないか?」と思われるような人、
例えば、人生の成功者、豊かになっている人、自信を持って生活している人などがいることでしょう。
しかし、その人たちこそ、本当は救いを待っているのです。
素晴らしいものがあるのと反比例して、心の中は空洞であるのです。
お金があっても、事業に成功しても、素晴らしい家に住んでいても、
心の中は、どうしようもないほど飢え渇きをおぼえているのです。

ニコデモは、誰から見ても素晴らしい人物でした。
しかし彼は、夜こっそりとイエス様の所に行き、
「先生、永遠をいのちを得るにはどうすればよいのですか」と質問されました。
彼の心の中にも、飢え渇きがあったのです。
優れた人に見えても、豊かな人に見えても、福音が必要なのです。
彼らこそ、救いを、解決を、勝利を頂きたいと待っているのです。

福音だけが、素晴らしい救いであり、大きないのちを与えるものです。
人は、外側をつくろうものです。
どうか私たちの目が、人々の内側を見ることのできる目とならせて頂きましょう。

(HCCカンファレンス礼拝での、榊山清志先生のメッセージより)

23/06/2008

イエス様こそ「宝」           コリントⅡ 4:7

 
 
私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。
それは、この測り知れない力が神のものであって、
私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。
 
 
ここでいう「土の器」とは、私たちのことです。
そして、「宝」とは、イエス・キリストご自身を言います。
私たちの内側には、この宝が隠されているのです。
 
アメリカでのお話です。一人の、貧しい生活を強いられている人がいました。
彼は、生活保護を受けなければならない状況でした。
しかしある日、調査を受けたところ、その人の土地の下には油田があるということが分かったのです。
その人は貧しい生活から一転、大金持ちになったというのです。
私たちは、イエス・キリストを信じて歩む中で、この油田とは比べものにならないほどの、
素晴らしい宝を持つことができるのです。
 
熱心に信仰生活を送ってきたクリスチャンがいました。
彼は、一生懸命奉仕をしているのですが、今ひとつ、元気や喜びが湧き上がってきませんでした。
彼はある日、夢の中でイエス様に出会いました。そして、イエス様にこう言われたのです。
「今日、あなたの家に行くから、あなたの家のカギを全部くれないか。」
彼は、家中のカギをイエス様に渡しましたが、イエス様は「これで全部なのか?」と問われたのです。
彼は、たった一つ、自分の部屋のカギを渡していなかったのです。
イエス様は、こう言われたのです。「わたしは、あなたという部屋の中に入りたいのだ。」 
イエス様が心の中に入って下さる時、何か特別なことがないようであっても、
喜びが湧き上がってくるのです。
クリスチャン生活の素晴らしさは、自分の力で歩まなくてもよいということです。
嵐のような出来事に遭遇しても、イエス様は支えて下さり、確かな道を与えて下さるのです。
 
多くの人が、「器」というものを気にします。
しかし、器よりももっと大事なのが、「その中に何が入っているか」ということなのです。
たとえ高価なコーヒーカップであっても、泥水が入っていたら、台無しになってしまいます。
逆に、高価なカップでなくても、心のこもったコーヒーであれば、おいしく味わえることでしょう。
私たちが土の器であっても、その中には宝があるのです。
神に力があるのです。御言葉に力があるのです。この宝には、測り知れない力があるのです。
私たちの存在がどうであれ、イエス様が宿って下さるとき、恵みが与えられ、
元気に明るく生きることができるのです。
19/06/2008

アバ 父          ローマ 8:15-17

 
 
あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、
子としてくださる御霊を受けたのです。
私たちは、御霊によって、「アバ、父。」と呼びます。
 
 
「アバ」というのは、イエス様がこの地上で使われたアラム語
(イスラエルの一部地域で使われた言葉)であり、「お父さん」という意味です。
私たちは、神様の声を聞くことができる子供として、聖書では紹介されています。
声というのは、すごく重要なものです。
メールだと遠い所にいるように感じても、電話などで声を聞くと、
すごく近くいるように感じるものです。
声というのは、その人を癒し、力づけることができます。
私たちは、天も地も造られた偉大な神に対して、「お父ちゃん」と呼ぶことができ、
祈り求めることができるのです。
 
私たちは、神の相続人(17節)となるのです。
つまり、すべての資産を持っている神様のあとつぎとなるのです。
私たちは、必要なものを何でも、天のお父さんから、
イエス様の名によって頂くことができるのです。
信仰の口を大きく開けて、すべてのものを頂くことができるのです。
 
神様は、私たちを霊的に産んで下さった『産みの親』です。
マタイ6:31にはこうあります。
「そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何をきるかなどといって
心配するのはやめなさい。」
神様は、私たちの生活に必要なものはすべてご存知です。
父として私たちを愛し、心に留めて下さっているのです。
 
また神様は、私たちを育てて下さる『育ての親』です。
マタイ5:45には、こうあります。
「天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、
正しい人にも正しくない人にも雨を降らせて下さるからです。」
神様は、生きるために必要なものをすべて与えて下さいます。
すべてのものは神様からのプレゼントです。
 
そして神様は、私たちを救って下さった『救いの親』です。
ヨハネ3:16には、こうあります。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは
御子を信じる者がひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」
多くの人たちは、神様を離れ、罪の中で生活しています。
世界中で起こる様々な事件の源は、罪です。
父なる神様は、たった一人の御子であるイエス様を、この地上に遣わして下さいました。
イエス様は私たちのすべての罪を背負い、十字架上でその罪を贖って下さいました。
私たちは、イエス様を信じることにより、永遠のいのちを頂き、天国に入ることができるのです。
10/06/2008

網を右におろしなさい      ヨハネ 21:1-11

 
 
イエスは彼らに言われた。「舟の右側に網をおろしなさい。そうすれば、
とれます。」そこで、彼らは網をおろした。すると、おびただしい魚のために、
網を引き上げることができなかった。
 
 
イエス様が言われた「右側」というのは、神様の側のことをいいます。
逆に「左側」というのは、人間の側のことをいいます。
「わたしとともに歩みなさい。」「わたしから離れてはいけない。」
…これが、イエス様のペテロに対するメッセージであり、
私たちに対するメッセージでもあったのです。
 
ペテロは、プロの漁師でした。
いつどこに、どんな状況の時に行けば魚がとれるのかが、よく分かっていました。
しかしその夜は、何もとれませんでした。
私たちの生活の中にも、そのようなことはないでしょうか。
「何も起こらなかった。」「何も実を結ぶことができなかった。」
…イエス様は、何もうまくいかなかった時であっても、失敗してしまった時であっても、
いつも、ともにいて下さるのです。
「私なんか、何もできなくて…もうだめだ!」…このような状況の中でも、イエス様は、
あなたの横に立って下さるお方なのです。
イエス様は、どんな状況の中でも、私たちを愛して下さり、私たちとともにいて下さるお方なのです。
 
失敗すると、心に傷が残り、もう、そのことをやりたくなくなるということはないでしょうか。
ペテロが置かれた状況も、そのようなものでした。
しかし彼は、かすかな信仰を持ちました。
夜通し働いたけど何も取れなかった、収穫はゼロだったのですが、
「舟の右側に網をおろしなさい。」というイエス様の声に対し、
「はい、やってみます。」と告白し、実践されたのです。
 
ペテロがイエス様の声に聞き従って、右側に網をおろした時、153匹もの魚が取れたのです。
それも大きな魚です。しかも、その重量は、ちょうど網が耐えられるだけの重量であったし、
また、舟の積載量とちょうどぴったりだったのです。
 
私たちの様々な働きの中で、「本当に、このままでいいのだろうか。」と思うことはないでしょうか。
そのような時でも、隣にいて下さる方が、イエス・キリストなのです。
たとえ失敗してしまった時も、「心配するな。恐れるな。わたしがあなたを支えるから。」と
イエス様は語って下さり、もう一度前へ向かわせて下さるのです。
私たちのやることなすこと、すべてを祝福して下さる方が、イエス・キリストなのです。
「ああ、こんなに素晴らしいことを主は成して下さるのか。」という中で、
神様は信仰生活を楽しませて下さるお方なのです。
06/06/2008

信じるとこうなる          ルカ 4:18-21

 
 
イエスは人々にこう言って話し始められた。
「きょう、聖書のこのみことばが、あなたがたが聞いたとおり実現しました。」
 
 
イエス様を通して頂く希望とは、何でしょうか。
一つは、貧しい人々が豊かになるということです。
もともと人間は、貧しく生まれたのではありません。万物の支配者として、一番豊かな者として造られました。
しかし、のろいが来て、貧しくなってしまいました。
そののろいの原因が、罪です。
罪を犯したが故に、人間は堕落し、心も体も貧しくなり、環境がのろわれ、
人間の人生も短くなってしまったのです。
しかし、イエス様は、私たちのかわりに罪を背負って、償って下さいました。
イエス・キリストを信じる信仰によって、私たちは罪を帳消しされ、きよい神の子供に戻ったのです。
罪がきよめられ、赦された人は、考えが変わるようになります。
自分のセルフイメージが高くなります。
言葉が変わり、信仰やビジョンも変わってきます。
「私はもうダメだ。」と言っていた人も、「もはや私たちは貧しくない。私は、神の子供となった。」
と認めるようになります。
 
現在世界一の金持ちであるウォーレン・バフェット氏は、自分の財産の80%を神様にささげました。
そして世界中の貧しい人たちを救済する団体を作りました。
そして今年、世界一の金持ちになったのです。
「いずれ私は金持ちになる。」と彼は信仰を持っていました。
その確信は、イエス・キリストを信じる信仰から来ていました。
彼の哲学は、聖書にしっかり基づいたものだったのです。
 
イエス・キリストを信じると、悪魔の呪いが消え去ります。
あなたは富むようになります。経済的にだけではなく、人間関係も富みます。
呪いから解放され自由になり、すべての恐れ、不安、悩みから解放され、病気も癒されるのです。
 
私たちの心は、真空のようなものです。何かで満たされないと、飢え渇いて苦しいのです。
その飢え渇きを、肉の思い、淫欲ばかりで満たしてしまう人もいます。
また、悪霊や、否定的な思いでいっぱいになり、うつ病になってしまう人もいます。
そうではなく、聖霊で満たさなければならないのです。
聖霊で満たされた時、心が解放されます。自由になるのです。心の病は消え去ります。
聖霊が満ち潮のように、あなたの心を満たして下さいます。
その時、悪霊は追い出されます。引き潮のように出て行きます。
イエス様が、力と愛と希望と祝福を持って、私たちを満たして下さり、癒され、解放されるのです。
聖霊の力が注がれるように、大胆に祈り求めていきましょう。
(HCCカンファレンス礼拝での、卞在昌先生のメッセージより)