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30/06/2006 わきまえのない者に悟りを 詩篇119:130みことばの戸が開くと、光が差し込み
わきまえのない者に悟りを与えます。 御言葉は、私たちの心を照らします。
私たちの心の内側を正し、どのような道を歩んだらよいのか示して下さるのです。
自分の心の中に光が入ってくると、自分の心の内側がどのような状態なのか
分かってきます。
私がどういう人間であったのか、どういう歩みをしてきたのか、
自分の本当の姿がどうであったのかがよく分かるようになるのです。
自分のことは自分が一番よく分かっているようで、実は分かっていないのです。
自分では、まあまあな歩みをしていたように見えても、
実はそうではないと気が付かされるのです。
人間は、最高傑作品として、神様がご自身の姿に似せてお造りになりました。
その恵みを感謝したことがあるでしょうか。
神様は私たちに自由意志をお与えになったのですが、
もし神様に従わないで自分のために自由意志を使い、自分の肉の望むまま、
自分の思い通りに歩んでいくのであれば、ここに問題があるのだと
聖書は教えています。
その歩みは、決してうまくはいかないのです。
ただ生活を毎日繰り返し、やがて年をとって死んでいき、
「ああ、人生とは何とむなしいものなのか。」と考える人が沢山います。
しかし、本当は違うのです。
神の姿に似せられて造られた私たちは、自分の意思を持って神様に従う中で、
調和のとれた、恵みに満ちた人生を歩むことができるのです。
何が問題であり、何が大切であるのか聖書は教えています。
それと同時に一人ひとりの存在に対して、
"全世界のすべての富よりも尊い"と教えているのです。
この聖書を通して私たちの本当の姿を知る時、私たちの生き方が変わるのです。
劣等感に陥ることもなく、神の子供らしく、幸いな喜び溢れた生活を歩むことが
できるようになるのです。 16/06/2006 なすべき正しいこと ヤコブ4:13-17こういうわけで、なすべき正しいことを知っていながら
行わないなら、それはその人の罪です。 私たちは、人生の色々な目標や計画を立てます。
一日の中でも一週間の中でも、目標や計画を立てるでしょう。
ここの箇所で、「商売をして儲けよう。」と計画して、そのように言った人たちに、
神様は何を語ろうとしたのでしょうか。
ここで大切なのは、最善に導いて下さる神様に託す、委ねるということなのです。
儲けること自体が悪いわけではありません。
しかし、その計画が、神様の御心を失っていたのでは、祝福されることはないのです。
私たちの考えや計画は、消えてしまう霧のようなものに過ぎないのかもしれません。
しかし、イエス・キリストが、私たちの人生に道を示して下さり、
揺るがない計画を与えて下さるのです。
神様は、その人の魂をよく知っているので、御心であるならば、
常識では不可能に見えるようなことでも、成して下さるお方なのです。
自分で独り歩きする者ではなく、神様に手を握っていただき、
祝福された人生を歩む者とならせて頂きましょう。
マタイ7章12節には、
「何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。」
と書かれています。
これを行うのであれば、どんな人とも仲良くすることができます。
私たちが、神様に喜ばれる歩みをするのであれば、
私たちも幸せになることができるのです。
神様抜きの人生は、その中でどんなに頑張ってみてもうまくいかないのです。
神様の御心の中で、祝福の中で歩んでいくのです。
人間関係の中でも、なすべき正しいことを行うのなら、うまくいくことができるのです。
いつでも低くなり、御心にかなった歩みが与えられるように、祈って取りくむ者と
ならせて頂きましょう。
10/06/2006 神の力に生きる 使徒1:1-8聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。
イエス様は、死の力を打ち破り、もう一度よみがえりました。
このことによって、永遠のいのちが証明されたのです。
このように神の力は、人間には全く及びもつかない、はかり知れないものです。
この無限大なる神の力を自分のためだけに使うのではなく、
人々の祝福のため、教会の祝福のために使っていくのです。
この箇所の4節には「エルサレムを離れないで~」と書かれていますが、
8節には「エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで…」という具合に、
離れていくように語られたのです。
4節の所では、聖霊の力が与えられるまで祈って、 祈りこんで取り組んでいくことの大切さを教えています。
様々な働きは、よく祈って神様の導きを頂いてから遣わされていくことが大切なのです。
力強い信仰生活は、悔い改めをしっかりすることから始まるのです。 箴言28章13節には、「自分のそむきの罪を隠す者は成功しない。」と書かれています。
罪に敏感になり、しっかりと悔い改めることで、素晴らしい神の栄光が与えられるのです。
また神様は、私たちに勝利を与えて下さり、喜びに満たして下さるお方なのです。
この喜びは、この世の喜びとは異なり、内側から溢れる、
神様からの聖霊の喜びなのです。
この力により、喜びにより、イエス様を証しすることができるようになるのです。
人々の救いのために、この力を求める者とならせて頂きましょう。
そして、この喜びを伝える者とならせて頂きましょう。
人々の救いのため、人々の祝福のために神の力を求めるのであれば、
神は私たちを恵みで満たして下さるのです。 02/06/2006 主の恵みに生きる 詩篇103:1-5わがたましいよ。主をほめたたえよ。
主のよくしてくださったことを何一つ忘れるな。 ダビデは賛美にあふれ、感謝にあふれ、心から礼拝をささげていました。
ダビデは一国の王となりましたが、そのことをも神様から与えられたものだと感謝しました。
そして羊や家畜、大群衆・・・すべて神様の恵みであると、神様を感謝したのです。
私たちは、裸でこの地上に生まれました。 衣食住のこと、目に映るもののすべては、神様から与えられたものです。
私たちが、何か頑張って持ってきたものではないのです。
私たちも日々の生活の中で、どんなものを見ても、どのような中を歩んでいても、 主をほめたたえていたら、つぶやくことなど一つもないのです。
ダビデがいつも神様を意識しながら生活していたように、
私たちもそのようにさせていただくのです。
クリスチャン生活のバロメーターは、「感謝しているか、感謝していないか」
ということではないでしょうか。
過去のことをつぶやいていたら、前に進むことができません。
感謝したら、前に向かうことができるのです。
人を見たり状況を見たりして、神様に対する焦点が合わなくなる者になるのではなく、
神様の御心がよく分かる者とならせて頂きましょう。
神様は私たちを常に新しくして下さり、私たちに幸せを与えて下さるお方です。
そして、どのような状況の中でも助けて下さり、救い出して下さるお方です。
この神様からの素晴らしい祝福を頂くために、すべてを感謝し、全部神様に委ね、
お任せしていくのです。
信仰を働かせるとともに、与えられたものを心から感謝し、そしてさらに前進し、
人々の救いのために前進する者とならせて頂きましょう。
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