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28/05/2007

新・親父宣言    ローマ5:5-11

 
 
この希望は失望に終わることがありません。なぜなら
私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が
私たちの心に注がれているからです。
 
 
今の日本では、家庭が崩壊されています。
豊かさを求めることにより、貪欲に走り、自己中心になってしまう。
また、離婚が進み、少子化が進んでいく…。
これが日本の現状ではないでしょうか。
また、理想的な親父像というものが、なくなってきているのです。
 
日本では昔から、「地震・雷・火事・親父」と言われているように、
親父と言うものがとても恐いものであると象徴されてきました。
しかし、それだと、子供は恐くて近づくことができなくなってしまうのではないでしょうか。
 
韓国の親父像は、「柔和でジェントルマン。でも権威がある。」というものです。
しかし、雲の上の存在であり、親しいフレンドシップを持つことは難しいのです。
 
本当の理想的な親父像、最高のモデルは、「天のお父さん」なのです。
天のお父さんは、次のものを与えて下さいます。
 
まず、第一に、条件のない愛、無限の愛を与えて下さいます。
御言葉に書かれているとおり、聖霊によって、神の愛が注がれているから、
この希望は失望に終わることがないのです。
 
二番目として、秩序を立てて下さいます。
家庭にも、礼儀や秩序がなければ、ダメになってしまいます。
同じように天のお父さんは、礼儀と秩序を保つために、御子キリストを立てて下さったのです。
 
三番目として、親しいフレンドシップを与えて下さいます。
神様は、私たちと和解して下さり、罪を許して下さり、
そして友達になって下さるお方なのです。
決して、"雲の上の存在"ではないのです。
 
私たちはイエスキリストによって、天のお父さんに近づき、
大いに喜ぶことができるのです。
 
~HCCカンファレンスでの、卞在昌先生のメッセージより
25/05/2007

クリスチャン生活を楽しんでいますか?  詩篇40:16

 
 
あなたがたを慕い求める人がみな、あなたにあって楽しみ、
喜びますように。
あなたの救いを愛する人たちが、「主をあがめよう。」と、
いつも言いますように。
 
 
ダビデは、その生涯の中で一番大切にしていたことは、自分の前に主を置くことでした。
そして、いつも神を信じる中で、楽しみ喜ぶことでした。
それに加えて、心から神を礼拝する者でした。
 
私たちの、毎日の主との交わりの中で大切なことは、
どうしたら主の御心に叶い、主に喜ばれるかを考えることです。
それと同時に、主にあって、私たちも与えられた人生をこの地上で楽しみ、
喜ぶことなのです。
 
ダビデはイスラエルの王でしたが、様々な試練を体験した人です。
祈らなくては、生活がすることができない毎日でした。
しかし、その、主との交わりを通して、主の勝利と平安を確信していたので、
決して失望することはありませんでした。
それどころか、主にあって楽しみ、喜びに満たされた毎日だったのです。
 
私たちの人生にも、試練や苦悩がやって来ます。
突然の出来事の前に、私たちは恐れおののいてしまいやすい者です。
しかし、私たちを支え、私たちとともにおられる方が、
いつも共にいて下さることを、忘れてしまってはならないのです。
 
主イエス様は、永遠のいのちを与えて下さったのです。
そればかりではなく、全ての必要を満たして下さるお方です。
 
ダビデのように、主を慕い求めましょう。
そして、主イエス様を信じる中で、どんな素晴らしいことが始まるか期待し、
楽しみ喜んでいきましょう。
 
あなたは、クリスチャン生活を楽しんでいますか?
喜んでいますか?
信仰を持って歩む中で、毎日主の素晴らしい奇跡を体験していくのです。
 
12/05/2007

試練は神様からのテスト   ローマ8:28

 
 
神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々の
ためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、
私たちは知っています。
 
 
聖書の中に、ヨブ記という箇所があります。
ヨブは、神を愛し、そして正しい人でした。
そして、沢山の財産を持っていました。
しかし、彼は突然すべてを失い、彼自身も象のような皮膚になり苦しみました。
しかし、試練の中で彼は、神様に目を向け、神様にはすべてができること、
どんな計画を成し遂げられることを知り、信仰を持って歩む中で、
主は彼の所有物をすべて二倍に増されたのです。
 
このように、正しい人、神様を愛している人が試練にあうということがあるのです。
この「試練」というのは、神様からのテストなのです。
その中で、物事を信仰的に、前向きに捉えていくためのテストなのです。
の中でも、入学試験や入社試験などで、学力や適応力などを試されることがあります。
同じように神様も、私たちを試されるのです。
それは、神様が私たちを愛しているからこそ、なのです。
 
しかし、もし、神様から目を離して自分勝手に歩む中で試練にあったのであれば、
悔い改めて向きを変え、神様のもとに立ち返っていくことが大切なのです。
神のご計画に従って召された人として、聖書の中では、
息子のイサクをささげる中で大きな祝福をもらったアブラハムなどが挙げられます。
 
 
私たちは、神様から任命された者なのです(ヨハネ15:16)。
たとえ取るに足らない者であっても、主は私たちを選び、神に従う中で、
私たちもアブラハムと同じ祝福を頂くことができるのです。
 
クリスチャンは、生活の様々なことを通して成長し続けていくのです。
この地上で体験する様々なことをすべて感謝し、神様に目を向けて、
神様に従って祝福を頂く者とならせてもらいましょう。
 
05/05/2007

「本気で信じる」  ルカ17:11-19

 
 
それからその人に言われた。
「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰が、あなたを直したのです。」
 
 
10人のらい病人がイエス様に出会い、声を張り上げて
「あわれんでください。」と、主に心を向けて叫ぶ中で、
らい病が癒されました。
しかし、その中のたった一人、しかも外国人のサマリヤ人だけが、
癒された後でイエス様のもとにひれ伏して、感謝をささげたのです。
彼は、「外国人の自分もイエス様は癒して下さるに違いない。」と
信仰を持つ中で癒されたのです。
イエス様は、私たちがどのような状態や環境であっても、
憐れみを下さるお方です。
私たちが祝福を頂きたかったら、本気で信じ、そして自分を砕いていくのです。


また、一つの出来事から、最悪の状況を想定してしまうことや、
「もうダメだ」と動けなくなってしまうことはないでしょうか。
舟に乗ったイエス様の弟子たちが波に悩まされている中で、
イエス様が湖の上を歩いてこられた時に、
イエス様を幽霊だと見間違えてしまった所がありました(マタイ14:22-31)。
イエス様は、「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。」と弟子たちに言われました。
信仰の中に疑いが入ってしまうのは、恐ろしいことです。
主に拠り頼む中で私たちは、苦しみの中には、恵みがあることを知らなければならないのです。


また祈る時は、希望をもらいながら祈らなければなりません。
たとえ、人を人とも思わない裁判官であっても、
ひっきりなしにやってきて裁判をやってほしいと懇願するやもめに対しては、
その裁判官も放っておくことはしなかったように(ルカ18:1-8)、
心底信じきって祈る祈りには、神様も答えて下さるのです。

今日、ビジョンが消えかかっている人、動けなくなっている人はいらっしゃらないでしょうか。
もしそうであるなら、「私をあわれんで下さい。」と悔い改めて祈る者と変えさせて頂きましょう。