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22/04/2008 神に信頼して歩む ヘブル 11:1-6信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。
…信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、
神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。
聖書の中には、様々な信仰者が出ています。
しかし、彼らも最初から立派な信仰者だったわけではありません。
様々な問題を通して、立派な信仰者へと成長していったのです。
試練も苦しみもなく、何もかもうまくいく状況しか体験しなかったら、信仰が成長することはありません。
様々な問題を通して、訓練され、錬られ、信仰が成長するのです。
困難や試練は、信仰が成長するための素晴らしい材料です。
その中で「自分にはできない」ということを体験し、神様だけに拠り頼むことを体験し、
神様から全部与えられることを信じて歩むのです。
カインとアベルとの違いは、神様へのささげ物にありました(創4:3-5)。
弟のアベルは、傷のない子羊を、しかも最良のものをささげました。
これが、神様の御心にかなっていたのです。
神様の前に出るには、動物の血が必要であると、アベルはそのまま信じていったことが、
神様に受け入れられたのです。
しかし、兄のカインは、のろわれた地からの作物をそのままささげたのです。
彼は、神様のやり方に従わず、自分のやり方でささげ物をしたのです。
神様は、カインのささげ物には目を留めませんでした。
目を留められたのは、神様のやり方に従い、そのまま信仰をもってささげたアベルのささげ物だったのです。
ヤベツは、「私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。御手が私とともにあり、
わざわいから遠ざけて私が苦しむことのないようにしてくださいますよう。」と祈りました(Ⅰ歴4:10)。
ヤベツがいつも見ていたのは、万軍の主でした。
私たちにも、このヤベツの祈りが必要です。
主に目を向ける中で、力強く宣言させていただくのです。
ナアマン将軍は、らい病をきよめるためにエリシャの所へ行きました。
その時エリシャに言われたのは、「ヨルダン川へ行って七たびあなたの身を洗いなさい。」
というものでした(Ⅱ列5:1-11)。
あまりにも単純なことの故に、ナアマン将軍は理解できず怒り、従うことができませんでした。
しかし、その後、身を低くしてエリシャの言われたとおりにすると、彼のからだは元どおりになって、
幼子のからだのようになり、きよくなりました。
信仰は、その通りになると素直に信じて従うことです。
いつでも神様だけを当てにして、恵みをいただきましょう。 15/04/2008 箱舟に入りなさい 創世記 6:1-9ノアは、正しい人であって、その時代にあっても、全き人であった。
ノアは神とともに歩んだ。 地上に人が増え始めてきた時、人々は神様を忘れて、
自分のやりたいことや、自分の好むことを行うようになってきました。
結婚も、自分の好みだけで、見た目だけで決めるようになってきたことに、神様は心を痛められました。
神様は、人間のその罪の故に、生きる年数を120年と定めたのです。
人々が自分勝手に歩み始めたその時代にあっても、ノアは全き人であり、神とともに歩んだ、正しい人でした。
ノアは、神様の言われるとおり、箱舟を造りました。
箱舟の大きさも、使われる材料も材質も、すべて神様の言われるとおりに行いました。
その箱舟には、ノアと妻、三人の息子たち、それぞれの息子たちの妻、計8名の人と、
あらゆる動物の雄と雌2匹ずつが乗り込みました。
動きが早い動物ばかりではなく、たとえ亀のような動きが早くない動物でも、乗ることができたのです。
しかし、ノアたちを馬鹿にして、信じなかった者たちは、箱舟に乗ることができなかったのです。
すべての生き物の雄と雌が箱舟に乗り、箱舟の戸が閉じられると、雨が降り始めました。
そして、ものすごい雨が40日間降り続けました。
今までノアたちを馬鹿にしてあざ笑っていた人たちは、みな洪水で滅ぼされてしまったのです。
ノアたちが箱舟に乗り始めてから、水が完全に引くまでには1年3ヶ月もの時がかかったのです。
ノアは、神様の心にかなっていました。
神様の心にかなうこと、それは、神とともに歩むことです。
私たちも同じように、神様の心にかなう歩みをさせていただく必要があるのです。
ノアの箱舟には、8人の人間しか乗ることができませんでした。
しかし今は、信じる者が皆、救いの箱舟に入ることができる恵みにあずかることができます。
私たちも、備えをしていくのです。
一人ひとりが、個人的にイエス・キリストに出会って、救いの箱舟に入らなければならないのです。
また、ノアは信仰による歩みをしていました(ヘブル11:7)。
彼が箱舟を造り始めた時、彼は、神からの警告を信じ、家族の救いを信じていました。
私たちも、信仰によって歩み、信仰によって見させていただくのです。
様々な夢、ビジョン…。それは、低い所に作ってはいけません。
ノアも、箱舟を低い所に造ることはしませんでした。
神の中に生き、動き、存在する者として、神様から大きなビジョンを頂きましょう。
そして、神様とともに歩み、人々の救いのために、なおも前進させていただきましょう。 08/04/2008 イエス様とともに、歩きましょう ルカ 9:23だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、
日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。 神様のたった一人の御子であられるイエス・キリストは、
私たちの罪のために、身代わりとなって十字架上で死んで下さいました。
ここには、大きな犠牲が伴っています。
イエス様は、私たちと神様との仲介者となって下さっています。
イエス様を信じる信仰により、私たちには永遠のいのちが与えられ、天国に入る道が与えられたのです。
イエス様を信じる信仰により私たちは、生きた神様、まことの神様と交わり、
礼拝する恵みにあずかることができるのです。
イエス・キリストに従って歩む人生には、間違いがないのです。
「自分を捨てなさい。」とは、どういう意味でしょうか。
自分を捨てるとは、自分の考え、自分の思い、自分のプライドを捨てることです。
イエス様に従っていく中で、一番の敵になるのは、この、自分の考えや思い、そしてプライドです。
例えば、このように思っている方はいらっしゃらないでしょうか。
「自分は、まあまあ真面目で頑張っている。」「自分は、まあまあ正しい人間だ。」…
もし、そのように思っていたとしても、イエス様に従うことができずにいるのなら、本当の平安はないのです。 「これを捨てなさい。」「これをやってはいけません。」…このように神様が語られたことに対して、
素直に聞き従うことができなければ、そこには本当の平安はありません。
いつも、イエス様とともに手を組んで歩ませて頂くのです。
困った時だけイエス様に拠り頼み、順調な時はイエス様から目を離してしまう生活は、信仰生活ではありません。
信仰生活の中で、様々な葛藤が出てくることでしょう。
でも、イエス様に従う人は、その葛藤に打ち勝ち、勝利を得ることができるのです。
自分自身の肉を捨て、プライドを捨てて、イエス様とともに歩んでいきましょう。
イエス様の十字架を見上げる時、その大きな犠牲の中で、神の御子というプライドを完全に捨てたことが分かります。
私たちも自分を捨てて、自分の十字架を負って、イエス様に従っていくのです。
イエス様を信じて歩んでいく中で、優しい心、愛の心が与えられます。
それは、自分を捨て、イエス様を信じて歩む中で与えられることです。
そして、神様が与えて下さる素晴らしい計画の中で、毎日すばらしい御業を見させて頂きましょう。 01/04/2008 キリストの苦しみの欠けたところを満たす コロサイ 1:24-29ですから、私は、あなたがたのために受ける苦しみを喜びとしています。
そして、キリストのからだのために、私の身をもって、キリストの苦しみの 欠けたところを満たしているのです。キリストのからだとは、教会のことです。 お母さんは、子供を産む時に苦しみます。お母さんの産みの苦しみを通して、私たちは生まれました。
キリストのからだである教会にも、同じように産みの苦しみがあるのです。
お金を稼ぐため、何かを身につけるためといった、自分のための苦しみというものもあるでしょう。
しかし、聖書のこの箇所で出てくる苦しみは、人々のための苦しみなのです。
パウロは、人々のため、そしてキリストのために苦しまれ、その苦しみを喜びとされました。
イエス・キリストの十字架の姿を見ると、キリストはこの上もない苦しみを受けられたことが分かります。
私たちのすべての罪、病、のろいを全部負って下さったからです。
しかし、死の力を打ち破り、三日目によみがえって下さったのです。
イエス・キリストを通して、死という問題から解放されたのです。
この地上には、まだまだ救われていない人が沢山いるのです。
多くの人たちが、神様から離れた道を歩む中で、罪から解放されずに苦しんでいるのです。
人の目にはまっすぐに見える道であっても、その道の終わりは死の道であると聖書は教えています(箴言14:12)。
すなわち、地獄であり、滅びなのです。
だからこそ、私たちは、イエス・キリストの苦しみの欠けたところを満たすために祈り、福音を届けていくのです。
教会に仕える者として、私たちは生かされているのです。
教会は祈る所であり、人々の救いのために前進させて頂く所なのです。
もっと多く祈り、聖霊に満たされていく必要があるのです。
聖霊に満たされる中で、苦しみは喜びに変えられるのです。
パウロに託された人は、異邦人でした。
偶像礼拝をしている彼らに、まことの愛、イエス・キリストを伝えること、それがパウロの使命だったのです。
私たちも、さらに、祈りと御言葉に専念させて頂きましょう。 もっとこの町が、そして日本がリバイバルされる必要があるのです。
暗いニュースが飛び交う日本が、福音によって変わっていかなければならないのです。
人間の力、自分の力には限界があります。
私たちの力でそのことを行うのではなく、キリストの力によってさせて頂くのです。
祈りの中で、神様は様々なビジョンを与えて下さいます。
聖霊に満たされる中で祈り求め、リバイバルを見させて頂きましょう。 |
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