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18/02/2006

「天にある喜びのために」   ルカ15:1-7

「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。見つけたら、大喜びでその羊をかついで、帰って来て、友だちや近所の人たちを呼び集め、『いなくなった羊を見つけましたから、いっしょに喜んでください。』と言うでしょう。」
 
 
 
天も地も造られた神様は、私たちを愛してくださり、癒してくださるお方です。
そして、"決まった時に"ではなく、"常に"愛の交わりを与えてくださるお方です。
神様は、ご自分のたった一人の御子であるイエスキリストを、
この世に遣わしてくださいました。

イエス様は、罪人を招いて、救うために来られたお方です。
この御言葉の中で、一匹の迷い出た羊のたとえが話されていますが、
私たちもかつては、羊のようにさまよっている者でした(Ⅰペテ2:25、イザヤ53:5-6)。
 
しかしイエス様は牧者となって下さり、そこから救い出して下さいました。
このたとえ話にあるとおり99匹を野原に残してでも1匹を見つけるまで探し、
見つけたらその1匹を責めるわけでもなく、大喜びでその羊を背負って下さるお方です。

イエス様は取税人や罪人など、人々からつまはじきにされていた人たちを拒むことなく、
愛し、受け入れて下さいました。
そのような人とは誰も友達になりたがらないのに、友達となって下さいました。
 
あなたの周りに、そのようなつまはじきにされている方はいらっしゃらないでしょうか。
イエス様が私たちを愛されたように、私たちもアガペーの愛でその人たちに接し、イエス様の愛を伝える者とさせて頂きましょう。
 
神の愛からもれている人は一人もいないのです。
天にある喜びのために祈り、時間を使い、神様の愛をお伝えしていきましょう。
10/02/2006

「神の恵みに生きる」

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」  ローマ8:28
 
 
旧約聖書の申命記を見ると、モーセがカナンの地に入るのに40年もかかったというところがあります。その間モーセは色々な悩みや苦しみを受け、精神的なダメージも受けたでしょう。
イスラエルの民たちは、モーセに対し不満や不信仰を持ち、つぶやく毎日・・・。
そのような時、モーセがふと自分の着物に目をやると、40年間着物がすり切れておらず、
足もはれていなかったのです。(申命記 8章4節) 
色々と思い巡らす中で神様の恵みに気づき、発見し、感謝することができたのです。
 
モーセの荒野での40年間は、私たちの人生をあらわすことができます。
あなたはいかがでしょうか。 
「自分がこうなったのはあの人のせいだ。」と悪者探しをしてはいないでしょうか。
それは、一時的な解決にはなるかもしれませんが、根本的な解決にはならないのです。毎日毎日、感謝をささげて歩んでいったら、その人の人生は幸せなものになります。どのような状況であっても、ローマ8:28の御言葉を自分のものとして受け取るなら、幸いな人生を歩むことができます。
ヨセフも、自分が兄たちに売られた時、そのことを恨むのではなく、むしろ感謝したので、すべてのことが恵みに変えられました。(創世記45:1-8) 
 
私たちは、日々の生活の中で色々なところを通るでしょう。
しかしどのような状況であっても神を愛し、神のご計画に従って歩み、
すべてを益として下さる神様に心から期待して歩む者とならせて頂きましょう。
04/02/2006

放蕩息子の兄  ルカ15:28

ある人に、二人の息子がいました。
 
兄は真面目で、戒めも破らずにお父さんによく仕えていましたが、
弟は自分の欲を求めて、父の財産の半分を持っていき、放蕩三昧の生活を送り、
挙句の果てにその財産を湯水のように使ってしまいました。
 
その後で大ききんが起こり、彼は食べるものにも困り始めました。
豚の世話をする仕事に就けたのですが、彼は豚の食べるいなご豆で
腹を満たしたいほどでした。
 
その時彼は、お父さんのところへ戻ろう、自分が罪を犯したことを素直に謝り、
もはや息子としてではなく、雇い人の一人にしてもらおうと決心し、
父のもとに行きました。
 
父親は彼が帰ってくると、まだ家まで遠かったのに走りよって彼を抱いて歓迎し、
肥えた子牛を引いて、音楽や踊りとともに盛大にお祝いをしました。
 
 
 
…と、ここまでは放蕩息子のお話なのですが、
問題は、真面目にやってきた兄のほうです。
 
 
 
兄はその状況を見ると、怒ってしまいました。
 
「長年父に仕え戒めを破ったことのない私には、友達と楽しめと言って子山羊一匹くれなかったのに、放蕩三昧していた弟には、肥えた子牛をほふらせるのですか。」
と文句を言い始めたのです。

 

 


兄は外見的には真面目で、模範的な人間に見えます。
 
しかしその心の内は、いつも欲求不満や不平不満の中にあったのです。
 
父との関係も、本当に愛しあう関係ではなく、自分の義や自分の正しさを
見せるためのもので、すぐに報酬を求めたがる姿がそこにありました。
 
その背後にあるのは、ねたみだったのです。
弟は自分の欲の中で「失われた状態」にありましたが、
実は兄のほうも、父の愛が分からない「失われた状態」にあったのです。
 
兄が本当に父の愛を受け入れたら、ともに放蕩息子の帰りを歓迎することが
できたのです。
 
自分の義に縛られているのなら、あなたも変えられる必要があるのです。
自分の義ではなく、神の愛を受けて生きる者と変えさせていただきましょう。