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23/12/2005

「神の愛」  ヨハネⅠ 4:7-12   ルカ19:1-10

私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、
なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。

 

今年の世相を表す漢字一文字は「愛」であると発表されましたが、
ギリシャ語では「愛」については3つの言葉を持つのです。
その3つとは、男女の愛を表す「エロース」、親子愛や友情愛を表す「フィリア」、
そして神の愛を表す「アガペー」です。
聖書の愛は、アガペーの愛、自己犠牲の愛です。そして一方的な愛です。
神様は私たちを一方的に愛して下さり、たった一人の御子イエス・キリストを、
この地上に贈って下さったのです。

神の御子であるイエス様が愛なるお方であることは、
聖書の様々な所に書かれていますが、
中でもルカ19章に出てくる取税人ザアカイに対する態度では、
イエス様の愛がよく伝わってきます。

ザアカイは金持ちでしたが、人から色々と騙し取ったりしていたが故に、
人々から嫌われていた者でした。
イエス様はそのようなザアカイに声をかけ、
「今日はあなたの家に泊まるから」と言われました。

ザアカイは、自分自身の心のみじめさがよく分かっていたのです。
彼は、自分自身の頑張りで、自分のみじめさを埋めようとして、のし上がってきました。

しかし、そこに喜びはありませんでした。
でも、イエス様が来られたとき、彼の心は変わり、愛に満たされたのです。

イエス様は、誰もが認めないような、目を向けないような、その人自身の存在に
目を向けて下さるお方です。そして、罪人を救うために来られたお方です。

ザアカイと同じように、私たちもイエス様の愛を頂いた時に、全く新しく生まれ変わり、
自分から自分自身をさらけ出すことができるようになり、喜びと愛と感謝をあらわす者と
なることができるのです。

16/12/2005

本当のクリスマスを体験する

「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。
この方こそ主キリストです。」ルカ2:11

今は本当に便利で豊かな時代になりました。
医学は進み、科学技術も進み、私たちは行きたい所に、車や電車で
すぐに行くことができ、またおなかいっぱい食べることができます。
 
昔の王様や貴族以上の生活をしているこの時代、
何か「人間」だけが取り残されているように思えないでしょうか。
どんなに便利な時代になっても、私たちは悲しみや苦しみ、
そして自分の罪に打ちのめされてしまう者ではないでしょうか。
こういう時代だからこそ、私たちには「救い主」が必要なのです。
クリスマスは、私たちの救い主であるイエス・キリストがお生まれになった日です。
いまやクリスマスは、ユダヤ人だけの喜びではなく、全世界、そして全人類の喜びです。
街には教会顔負けなくらいの素晴らしいイルミネーションをあちらこちらに
見ることができますが、
クリスマスの主役は、教会であり、聖書であり、そしてイエス・キリストなのです。
この方の誕生を世界中で喜び、この方を賛美するための曲が世界中で数多く
作られているのです。
それはイエス・キリストが愛なるお方であり、私たちの救い主だからこそです。
 
愛されているということは、何よりも力になります。
このクリスマスの時、本当のクリスマスを体験する者とさせて頂きましょう。
10/12/2005

クリスマスの出来事~主の御名をあがめる

ルカ1:26-38よりメッセージ
 
一人の処女であるマリヤのところに、御使いガブリエルがやってきました。
そこで語られた言葉は、
「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。
ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を生みます。名をイエスとつけなさい。・・・」
という内容でした。
婚約はしていたもののまだ処女であったマリヤは、ひどく戸惑いました。

神様は恵みに満ちた方です。
神様が御使いを通してマリヤに恵みを語られたのと同じように、
私たち一人一人に対しても、神様はまず恵みを語られるお方なのです。
 
私たちは自分の物差しで物事を考えがちなので、時にはその恵みが
理解できないこともあるのです。
しかし、神様からの恵みに対して、理解できることだけを信じるのではなく、
理解できないことについても、信仰をもって祈り、
大いに期待する者とならせて頂きましょう。

イエス様は母マリヤの胎を通して人の子として来られましたが、
同時に聖霊によって、神の子として、王として、救い主として
この地上に来られた方でもあるのです。
まさに不思議な、超自然的な方法でこの世に来られたのです。
このクリスマスの時、主の奇跡を見させて頂きましょう。
 
「神にとって不可能なことは一つもありません。」と聖書には書かれています。
主がどんな素晴らしい御業をおこして下さるか期待して、
恵みを頂く者とさせて頂きましょう。
03/12/2005

希望を失わない

そこに38年もの間、病気にかかっている人がいた。
イエスは彼が伏せっているのを見、それがもう長い間のことなのを知って、彼に言われた。
「よくなりたいか。」 
病人は答えた。
「主よ。私には、水がかき回されたとき、池の中に私を入れてくれる人がいません。
行きかけると、もうほかの人が先に降りて行くのです。」
イエスは彼に言われた。「起きて床を取り上げて歩きなさい。」
すると、その人はすぐに直って、床を取り上げて歩き出した。
ヨハネ5:1-9
 
これは、ベテスダの池の中での出来事です。
この池には言い伝えがあり、池の水が何かの拍子で動いたとき、
真っ先に飛び込んだ人が癒されるというものでした。
そこには色々な問題を抱えている方が集まっていました。
 
そこに38年間、病に伏せっている人がいました。
この人の所にイエス様は近づいていきました。そして「よくなりたいか。」と質問しました。
 
なぜイエス様はこんな分かりきった質問をしたのでしょう。
それは、イエス様は彼が失ったものを知っていたからです。
38年もの病の間に、彼は様々なものを失っていました。仕事、成功、家庭・・・。
 
でも、ベテスダの池に希望があったのです。
 
私たちは希望を失わないでさえいれば、いつでも勝利を頂くことができるのです。
 
ベテスダの池にも、様々な世の中の法則が働いていました。
弱い人がさらに弱い人を押しのけていく、これがベテスダの現実でした。
しかし世の中はあなたを見捨てても、神は決して見捨てないのです。
本当の希望、それは全能の神の中にあります。私たちがこの神に目を向ける時、
私たちは希望を頂くことができるのです。
 
「よくなりたいか。」イエス様は今日もあなたに語りかけています。
もう一度イエス様を見上げて、希望の人生を送る者とさせて頂きましょう。