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27/11/2008 主がともにおられる マタイ 28:18-20イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。
「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。」
見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。 創世記に登場するヨセフは、エジプトの地で総理大臣になりました。
しかし彼は、決して順調に総理大臣になったわけではありませんでした。
彼は、兄弟たちから、ねたまれていました。 それは、彼らの父が、ヨセフを特別にかわいがっていたからです。
彼は17歳の時、自分の見た夢の解き明かしをしたことで兄たちの怒りをかい、穴に落とされました。
そして、銀20枚でエジプトに売られてしまいました。
ヨセフは、ポティファルというひとりのエジプト人に買い取られました。
そこから、ヨセフの新たな人生が始まったのです。
そのような中でも、彼は幸運な人となることができました。
それは、主がヨセフとともにおられたからです。
主が、ヨセフのすることすべてを成功させて下さいました。
ポティファルもそのことを認め、彼はヨセフに、自分の全財産をまかせたのです。
神様は、ポティファルの家を祝福されました。しかも、ヨセフは体格も良く、美男子だったのです。
そのようなヨセフに、新たな試練がやってきました。
ポティファルの奥さんは、ヨセフに「私と寝ておくれ。」と迫り、誘惑してきたのです。
毎日言い寄られても、ヨセフは彼女の誘惑に負けることはありませんでした。
そのことで彼女は腹を立て、ヨセフに濡れ衣を着せて、結局ヨセフは監獄に入れられてしまったのです。
その監獄の中においても、主はヨセフとともにおられ、彼に恵みを施したのです。
やがて地下牢から出されたヨセフは、王様の夢の解き明かしをすることによってエジプトを飢饉から救い出し、
彼はついにエジプトの総理大臣となったのです。
すべてを成功させてくださったのは、主だったのです。
これは、ヨセフだけの話ではありません。
主がともにおられる時、何をしても成功させてくださるのです。
「恐れるな。わたしがあなたとともにいる(イザヤ41:10)。」神様は、そう語ってくださいます。
今、崖っぷちのような状況の中にいる方は、いらっしゃらないでしょうか。
また、出口のないトンネルのような状況の中にいる方は、いらっしゃらないでしょうか。
主に目を向けて、主とともに歩む時、主は必ず私たちを導いて下さり、
素晴らしいことを成して下さるのです。
ヨセフに知恵が与えられたように、その時その時に、良い知恵が与えられ、良い助けが与えられるのです。
神様はいつも、私たちとともにおられます。
いつも、神様の喜びに満ち溢れる歩みをさせていただきましょう。
(日曜礼拝での榊山澄子先生のメッセージより) 19/11/2008 ゲッセマネ ルカ 22:39-46「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。
しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」 ゲッセマネとは、「油をしぼる」という意味です。
その土地には、オリーブ油をしぼる工場がたくさんあったのです。
イエス様はいつもそこに行かれ、祈られました。
そこは、イエス様が人々と離れて、神様と二人だけになれる場所でした。
いつものように、イエス様はオリーブ山に行かれたのですが、この時は、いつもとは状況が違いました。
それは、イエス様が十字架に架けられようとする時だったのです。
イエス様は苦しみもだえ、汗が血のしずくのように地に落ちたのです。
全知全能なる神様が震えた時…、それは、あのイエス・キリストの十字架での罰・処刑の時でした。
それは、すべてを人に、そしてサタンに明け渡すことでした。
やりたい放題やられることでした。
イエス様は、私たちの罪も、汚れも、病も死も、全部を負って下さったお方です。
「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。」とイエス様は祈られました。
私たちの罪や汚れなどのすべてが、この杯の中にあったのです。
イエス様が祈り終わって、弟子たちの所に行くと、
弟子たちは悲しみのあまり、眠り込んでしまっていたのです。
イエス様は弟子たちに、「なぜ、眠っているのか。起きて、誘惑に陥らないように祈っていなさい。」と言われました。
私たちの生活の中では、様々な問題に直面することがあります。 11/11/2008 私は福音を恥とは思いません ローマ 1:14-17私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシャ人にも、
信じるすべての人にとって救いを得させる神の力です。 パウロは、クリスチャンをものすごくいじめ、迫害する人でした。
多くのクリスチャンを縛り上げ、牢屋に入れました。
十字架に架けられたイエス・キリストがまことの神だなんて、到底信じることができなかったのです。
しかし、ある時、突然天からまばゆいばかりの光が差し込んで、
「なぜわたしを迫害するのか。」というイエス様の声を聞いたのです。
彼は地に倒れました。
彼は、アナニヤという人のところに行き、その中でバプテスマを受け、
イエス様が神の子であることを宣べ伝え始めたのです。
かつては迫害する者であったパウロが、「私は福音を恥とは思いません。」と
大胆に証しする者と変えられたのです。
私には返さなければならない負債(借金)があると、パウロは言いました。 福音を伝えるということは、この借金を返すことだったのです。
彼は、ギリシャ人にも未開人にも、そしてローマにいる人々にも福音を伝えたかったのです。
日本の有名な伝道者の先生で、柘植不知人(つげ ふじと)という方がいました。
彼がイエス・キリストを信じたのは40歳を過ぎてからでした。
天幕の中での集会で、聖霊に満たされたのです。
パゼット・ウィルクスという宣教師の説教の中で、「イエス・キリストが道であり、真理であり、いのちである。」
という御言葉が彼の中に入り、そして、その日のうちにイエス・キリストを信じ、
次の日から伝道するようになったのです。
やがて柘植先生は、「その影を踏むと病が癒される。」と言われるほど、聖霊に満たされた器になったのです。
わずか12年間の伝道生活でしたが、その中で「リバイバルの火」を体験されたのです。
イエス・キリストは、人の心を変えて、新しい恵みで満たすことのできるお方です。
神様の愛と力によって、私たちは新しい恵みを頂くことができるのです。
「天国か地獄かは、死んで見ないと分からない。」と言う人がいます。 神は、信じる者とともに働いて下さいます。 05/11/2008 つぎ合わされるため ローマ 11:19枝が折られたのは、私がつぎ合わされるためだ、とあなたは言うでしょう。
イスラエルの民は、アブラハムの子孫で、神様の特別の選びの民であり、祝福をもらう民でした。
しかし、そのイスラエルの民は折られてしまったのです。
イエス・キリストが私たちの救い主としてこの地上に来られた時、
イスラエルの民はイエス・キリストを退けてしまったのです。
そこで神様は、折られた枝に、今度は異邦人を接ぎ木したのです。
イスラエルの民がもらうべき祝福を、彼らは取り除いてしまったので、
今度は、異邦人がイエス・キリストを通してアブラハムの祝福をもらうという、
その恵みの中に入れてくださったのです。
本当は他の人が受けるべき祝福が、私たちのところに転がり込んできたのです。
イエス・キリストの恵みのゆえに、私たちはアブラハムの子孫としての祝福にあずかることができるのです。
柿は、そのまま育つと渋柿となります。
甘柿にするには、接ぎ木をしなければならないのです。
どんなに肥料をやっても、よく育てても、渋柿は渋柿でしかならないのです。
接ぎ木をして、やっと甘くなるのです。
神様は、不従順なイスラエルの民の枝を折って、異邦人という野生の枝を接ぎ木されたのです。
その故に、異邦人が神様の素晴らしい祝福を頂くようになったのです。
神様の計画は、私たちのレベルで物事を考えるよりも、はるかにまさっているのです。
神様は、私たちが到底、及びもつかない方法で恵みをお与えになっているのです。
パウロは驚嘆して、「神の知恵と知識との富は、なんと底知れず深いことでしょう。」と言われたのです。
この恵みがよくわかると、主は素晴らしいことをなしてくださるという所に立つことができるのです。
神様は私たちに、わざわいではなく、将来と希望を与えて下さるのです。
今日、皆さんもその恵みの中にいることができるのです。
どんな状況の中にあっても、困難の中にあっても、主に目が向く時に、
主は私たちに力強く計画を成して下さるのです。
自分の中に閉じこもってみたり、自分で何とか動いたりするのではありません。
神様の計画は、力強く進んでいるのです。
神は、最善な時に、最善なことを、最善な方法で、最善にしておられる。
ある方が、そのように言われました。
今日、私たちが主に目が向く時に、主が最善を成して下さるのです。
使徒行伝を見ると、彼らは散らされながら、迫害されながら、福音の働きが前進していくことがわかります。
マイナスに見えることが、プラスとなったのです。
障害が祝福となったのです。
聖書に接ぎ木されて、目が開かれたものとなって、自分の考えや自分のやり方ではなく、
聖書のやり方で進んでいきましょう。
(HCCカンファレンス礼拝での榊山清志先生のメッセージより) |
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