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27/11/2007

ダビデの夢  詩篇27:4-6

 
 
私はひとつのことを主に願った。私はそれを求めている。
私のいのちの日の限り、主の家に住むことを。
主の麗しさを仰ぎ見、その宮で、思いにふける、そのために。
 
 
最初の人間、アダムとエバには罪が入っていませんでした。
しかし、エデンの園には善悪の知識の木があって、
その木の実だけは食べてはいけないといわれていました。
アダムとエバは、蛇(サタン)に、「その実を食べると、神のようになり、善悪を知るようになる。」と誘惑される中で、
その木の実を食べてしまいました。
その時、彼らに罪が入り、いのちを失いました。
アダムとエバは、エデンの園から追い出されて、神に背を向けて歩まなければならなくなったのです。
 
しかし今、私たちは、イエス様の大きな愛と犠牲によって、
イエス様の十字架を信じる信仰によって、神様のもとに帰る恵みにあずかる事ができるのです。
 
様々な問題や困難に直面する時、私たちの心は暗くなってしまうことがあります。
「一人にしてほしい。そっとしておいてほしい。」と思う人もいらっしゃるでしょう。
そのような時、この詩篇の箇所に出てくるダビデは、神様のもとに隠れたのです。
イエス様は、私たちの隠れ場、シェルターのようになって下さるのです。
悩む時、動けなくなってしまう時、神様がかくまって下さり、助けて下さるのです。
問題がある時、「神様!」と叫んで、拠り頼んでいくのです。神様はその中で、
良い知恵を、助けを与えて下さいます。
 
韓国の小学校でのお話です。
先生がある日、「1000ウォン(日本円で約100円)で、この教室がいっぱいになるものを買ってきなさい。」
と言いました。
多くの生徒は、「そんなの無理だ。」と答えましたが、一人の頭のよい女子生徒は、ろうそくを買ってきました。
先生は、教室の電気を消させ、買ってきたろうそくに火をつけると、光でその教室が満ち溢れたというのです。
イエス様は、「わたしは世の光です。(ヨハネ8:12)」と言われました。
私たちの生活も、神様の光で満たされて歩んでいく中で、神様は素晴らしい恵みを与えて下さいます。
 
ダビデは、一つの願いを持っていました。
それは、主の家に住むこと、そして神様にしっかりとつながることでした。
王様と呼ばれたダビデでしたが、彼は、高い地位に就くことを願っていたのではなく、
むしろ、もっと低くなるようにと願っていたのです。
私たちも、このダビデの姿勢にならい、神様にしっかりつながる中で恵みを頂いていくのです。
かつてクラーク博士は、「Boys be ambitious in Christ.(少年よ、キリストにあって大志を抱け。)」 と語りました。
夢を持つことは、素晴らしいことです。
しかし、神様から離れてしまった中での夢を、神様は喜ばれません。
神様の喜ばれる中で、神様の恵みの中を歩む中で夢を持ち、神様にあるビジョンを見させて頂きましょう。
20/11/2007

あなたが手にしているもの  マタイ14:15-21

 
 
しかし、弟子たちはイエスに言った。
「ここには、パンが五つと魚が二匹よりほかありません。」
すると、イエスは言われた。「それを、ここに持って来なさい。」
 
 
自分の持っている物、あるもので生活をする…。
これが世の中の方法です。
しかし私たちは、このような「世の中の方法」で生きるのではなく、
「信仰によって生きる」者とならせて頂く必要があるのです。
ここでは、五つのパンと二匹の魚で、男だけで五千人、総勢二万人の人々が満腹になった様子が書かれています。
信仰を持つ人は、このような素晴らしい恵みを頂くことができるのです。
 
総勢二万人もの群集を見る中で弟子たちは、
「ここは寂しい所ですし、時刻ももう回っています。ですから群衆を解散させてください。
そして村に行ってめいめいで食物を買うようにさせてください。」と言いました。
しかしイエス様は、「(食物を買うために)出かけていく必要はありません。」と言われたのです。
その場所に、パンが五つと魚が二匹しかない状況であっても、イエス様は
「それを、ここに持って来なさい。」と言われたのです。
 
私たちの持っている物がどんなに足りなくても、イエス様はそれを祝福して下さいます。
イエス様のところに持っていったら大丈夫だと、信仰を持つのです。
イエス様に差し出した五つのパンと二匹の魚は、総勢二万人の人に行き渡ったばかりでなく、
なおも十二のかごにいっぱいになったのです。
私たちの手にしているものを神様にささげたら、それを通して素晴らしい神様の栄光が与えられるのです。
神様は、幾倍にも増やして下さるのです。
だから、大きな信仰を持つのです。夢を持つのです。信じたら、そのとおりになるのです。
 
ミッキーマウスやディズニーランドで有名なウォールト・ディズニー氏は、
子供の頃、大変貧しい生活を送っていました。
家は穴だらけで、穴からねずみが出入りしていました。
彼はそのねずみが大好きになり、ねずみの絵を描くようになりました。
それがやがて、ミッキーマウスのモデルとなりました。
彼は50歳を過ぎて、ディズニーワールドを創設していったのです。
 
 
また、発明王であるエジソンは、小学生の頃は頭が悪いと言われ、
先生にも「お前の脳みそは腐っている」とまで言われました。
しかし、母親の愛と指導により勉強が好きになり、やがて発明王といわれるようになったのです。
 
夢を持つ人には、素晴らしい成長が与えられます。
あなたの手の中には、何があるでしょうか。
いつも信仰の目を開き、信仰の言葉を出していくのです。
汚れたものから離れて、御言葉をいただき、主にいつも目が向く者とならせて頂きましょう。
12/11/2007

自分の弱さを誇ることができますか  コリントⅡ12:6-10

 
 
ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで
私の弱さを誇りましょう。
 
 
人は、強さを誇りたがるものです。
勝負の世界では、勝った人たちだけに拍手がおくられます。
人は誰でも、勝ちたいという願いがあるのです。
しかし、聖書の御言葉には、「私が弱いときにこそ、私は強いのです。」とあります。
神様の前には、弱さを出してよいのです。弱い、そのままの姿でよいのです。
 
パウロは、生きたまま天国そのものを見るという、特別な体験をしました。
また、パウロは癒しの賜物をもっていました。
このような特別な力、超自然的な力を持っていたパウロは、多くの人々に魅力を感じられ、
神に近い存在とまで言われました。
  
しかしパウロには、肉体に一つのとげが与えられました。
このとげがあることによって、パウロはへりくだらざるを得なくなりました。
自分が神扱いされるのではなく、逆に、神様に世話をしていただかなければ生きていけない者へとなったのです。
これは、神様から与えられた恵みであることを、パウロは悟りました。
つまり、自分の弱さを誇る者となったのです。
 
私たち一人ひとりの人生の中にも、とげがあります。
すなわち、「これさえなければなぁ」と思うような出来事や物事です。
それが何であるかは、一人ひとり違います。
とげは、私たちを砕き、弱くさせます。
しかし、このとげがあるからこそ、私たちは神を求め、神に拠り頼んで歩む者となることができるのです。
 
とげがあると、早くそれを抜き取りたいという思いが出てくるでしょう。
しかし、私たちにとっての最終目的は、そのとげがなくなることではないのです。
神様に信頼すること、完全によりすがることが最終目的なのです。
神様に目を向ける中で、マイナスに見えることも感謝して、そのことを恵みに変えさせて頂くのです。
  
日々の生活の中で、嫌なこともたくさんあるでしょう。
嫌なことを取り除く祈りをするのではなく、その中で低くなって神様に拠り頼んでいくのであれば、
神様は必ず恵みに変えて下さるのです。
  
ヨブもそうでした。平安な生活を送っていたヨブは、突然、すべてのものを取られてしまいました。
その時、ヨブの本音の部分が出てきましたが、その本音の中で、神様との対話をしたのです。
そして最後に彼は、「今、この目であなたを見ました。」と言われたのです(ヨブ記42:5)。
その後主は、ヨブの所有物をすべて二倍に増されたのです(ヨブ記42:10)。
 
私たちの信仰生活は、地上での満足で終わることではありません。
偶像と離れ、まことの神に従っていくことこそが信仰生活なのです。
とげは、パウロを生かすものとなりました。
私たちも弱さを覚える中で、その弱さを誇り、主に拠り頼む中で、
神様からの大きな祝福を頂く者とならせてもらいましょう。
05/11/2007

クリスチャン生活の醍醐味   詩篇103:1-5

 
 
わがたましいよ。主をほめたたえよ。
主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
 
 
【賛美にあふれる生活】
ダビデは、魂からの賛美にあふれていました。
コロサイ3:16には、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさいとあります。
パウロとシラスは牢に入れられた時、賛美の中で地震が起こり、扉が開き、
その日のうちに牢を脱出することができたばかりでなく、看守とその家族が救われました(使徒16:25-33)。
賛美を通して、素晴らしい恵みが開かれるのです。
 
 
【感謝にあふれる生活】
一つ一つの恵みを数えるように感謝しながら歩んでいく人には、さらに恵みが与えられます。
つぶやいてばかりいる人には、与えられません。すべてを感謝していくのです。
 
 
【良いもので満たされる生活】
どんな困難の中でも、それを良いものに変えて下さるのは主です。
人間的にマイナスのように見えても、プラスに変えて下さり、永遠のいのちを与えて下さるのです。
ダビデは弱さの中で、神様の恵みを毎日毎日体験しました。
 
 
【力に満たされる人生】
私たちは、わしのように新しくなるのです。足の力が強められ、どこにでも伝道する力が与えられ、
また心の目がはっきり見え、神の栄光を見ることができるようになります。
「青年は幻を見、老人は夢を見る(使徒2:17)。」とあります。
老人であっても、ビジョンを持ち続けることができるのです。
 
 
ダビデは、8人兄弟の末息子でした。
ダビデは、まさか自分がそのような神様からの祝福を受けるとは思っていなかったでしょう。
私たちも、神様の子供として、特別な権威を与えられたのです。
それは、医学的にも科学的にも答えを出すことができないほどの、
神様からの一方的な恵み、あわれみなのです。
 
 
ダビデは、神様を一番近くに置きました。
このダビデの姿勢にならい、クリスチャン生活の醍醐味を、毎日味わいながら生活する者とならせて頂きましょう。