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29/10/2007

注がれる恵みの中で     ローマ6:1-2

 
 
それでは、どういうことになりますか。恵みが増し加わるために、
私たちは罪の中にとどまるべきでしょうか。
絶対にそんなことはありません。罪に対して死んだ私たちが、
どうして、なおもその中に生きていられるでしょう。
 
 
私たちは皆、様々な罪の中から救われました。
ザアカイは取税人の頭、サマリアの女は何人も男を替える中から、
マグダラのマリアは罪深い生活の中から、パウロはクリスチャンを迫害していた中から救われました。
あなたは、どのような状況から救われましたか。
 
ルカの福音書7章の中に、パリサイ人の家の中で、罪深い女が、涙でイエス様の御足をぬらし、
髪の毛でぬぐい、香油を塗ったとあります。
そこには、大きな恵みをもって感謝している姿があります。
この女性のように、救われた恵みを、決して忘れないで歩む者とならせて頂くのです。
いつも低い位置に、つまり、主の恵みや人と恵みが、いつも分かる位置に立たせて頂く必要があるのです。
自分が、どのような所から救われたかを、感謝する者とならせて頂くのです。
 
しかし、恵みが増し加わるために、罪の中にとどまるというのは、大きな間違いなのです。
神の恵みの中には、「赦しの恵み」と「注がれる恵み」があります。
 
 
放蕩息子が湯水のように金を使って、みじめな状態で父の元に帰った時、父は彼を受け入れました。
これは、「赦しの恵み」です。
しかしその後、父は汚れた服を脱がせて新しい服を着せ、指輪をはめ、靴も新しくしました。
これは、「注がれる恵み」です。
 
 
より多くの恵みを感じるために、罪の中に浸るというのは、間違いです。
赦しの恵みとともに、注がれる恵みをもつのです。
御言葉に従い、主とともに歩み、信仰を働かせる中で与えられる恵みです。
聖書を見ると、その恵みが豊かで、大きなものなのです。
 
注がれる恵み、あなたはどのくらい受けましたか。
どのくらい、その恵みで豊かになりましたか。
主とともに歩む中で、注がれる恵みに溢れさせて頂きましょう。
 
 
(HCCカンファレンス礼拝での榊山清志先生のメッセージより)
23/10/2007

力を受ける    コリントⅠ 1:18

 
 
十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、
救いを受ける私たちには、神の力です。
 
 
自分が罪人であるということが、お分かりでしょうか。
世の中では、犯罪をした人や悪いことをした人が罪人とされていますが、
聖書には、私たちの心から出てくる自己中心や悪い心、悪い考えなどが罪であると教えています。
神様は、私たちの心をすべて知っておられます。
私たちが罪人であることを知らない限り、私たちは決して、十字架の意味は分からないのです。
 
第一コリント15章3~5節には、このように書かれています。
キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、
また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、
また、ケパに現われ、それから十二弟子に現われたことです。
 
これこそが、今もなお、皆さんに届けられているGOOD NEWSなのです。
イエス様は、私たちの罪を赦して下さったお方です。
イザヤ書53章6節にもあるように、羊のようにさまよい、
自分勝手な歩みをしていた私たちの罪も赦され、癒されるのです。
 
生活の様々な出来事の中で、私たちの心はふさぎこんでしまうことがあるかと思います。
しかし、私たちが自分の弱さを認め、自分が罪人だと認め、
イエス・キリストの十字架を信じて歩んでいく中で、神様は力を注いで下さいます。
 
 
私たちには勝利があるのです。
 
 
聖書が教える正しさとは、真面目に頑張って生きていくことではなく、
自分が罪人だと認めて歩んでいくことなのです。
 
この世の喜びは、一時的なものです。
しかし、イエス様の十字架の贖いを信じ、神の子とされ、
永遠のいのちを頂いて歩んでいく人生には、本当の喜びがあるのです。
イエス様を信じる中で、本当の喜びを、本当の平安を頂いて歩む者とならせてもらいましょう。
15/10/2007

賢い人の備え   アモス4:12

 
 
それゆえ、イスラエルよ、わたしはあなたにこうしよう。
わたしはあなたにこのことをするから、イスラエル、
あなたはあなたの神に会う備えをせよ。
 
 
 
聖書には、賢い人と愚かな人について書かれています(マタイ7:24-27)。 
賢い人は、岩の上に家を建てます。
そうすれば、台風にも洪水にも、びくともしないのです。
しかし、愚かな人は砂の上に家を建てるため、雨風に耐えることができないのです。
イエス・キリストのことばを聞いて行う者こそ、賢い人だと教えています。
 
 
また、聖書には、ともしびを持って花婿を出迎える、
賢い娘と愚かな娘について書かれています(マタイ25:1-13)。
 
賢い娘たちは、油をしっかり用意していました。
つまり、いつ花婿が来てもよいように備えをしていたのです。
油を用意していない愚かな娘たちは、油を買いに行っているうちに花婿が来てしまい、
婚礼の祝宴に行くことができず、戸が閉められてしまいました。
愚かな娘たちは、油の不足を最後まで気づかなかったのです。
また、「油を少し分けて下さい。」と人任せにしてしまう愚かさもあったのです。
 
この花婿の姿こそ、再臨されるイエス・キリストの姿です。
聖書が示すとおりに、今はまさに世の終わりの時代です。
人々の愛が冷え、罪の目盛りの満ちた出来事で、恐怖におののいています。
今こそ、目を覚まして、いつイエス・キリストが再臨されてもよい備えを、一人ひとりがしなければなりません。
 
それは、信仰生活と教会生活を忠実に守り、聖霊の油を絶やすことなく
イエス・キリストにとどまることだと、聖書は教えています。
しっかりと主につながる中で、神にある永遠の備えをさせて頂きましょう。
08/10/2007

クリスチャンの義務と特権   箴言3:1-10

 
 
わが子よ。私のおしえを忘れるな。私の命令を心に留めよ。
そうすれば、あなたに長い日と、いのちの年と平安が
増し加えられる。
 
「わが子よ。…」
天の父なる神は、私たちにそのように語りかけて下さいます。
私たちは、神様に対してなすべきことがあるのです。
それに従う中で、私たちは素晴らしい特権を頂くことができるのです。
 
まず一つ目の義務として、神様を愛する、慕い求める義務があります。
いかなる時も、どのような状況の中でも神様を愛していくのです。
神様との交わりが、一番大切なのです。
その中で、現実ではなく、神様の素晴らしい恵みに開かれることができるのです。
 
二つ目の義務として、十分の一献金があります。
これは、収穫の初物として十分の一をささげること、神様にお返しすることです。
また、お金を偶像としないしるしでもあるのです。
それに従う中で、神様は私たちに、豊かな恵みを与えて下さるのです。
 
三つ目の義務として、伝道の義務があります。
時が良くても悪くても、私たちはしっかりと、人々に御言葉を伝えさせて頂くのです。
今は時期ではないからとか、人の顔色を見ながらではなく、いつも御言葉を伝えていくのです。
その中で神様は働いて下さいます。
 
私たちは、主との交わりを通して、回復させていただく必要があります。
回復には二種類あります。
一つは、栄養剤を与えることによる回復、すなわち霊的な栄養(御言葉)を取ることによる回復です。
もう一つは、抗生物質で悪い微生物を殺すことによる回復、すなわち悔い改めによる回復です。
これらを通して主と交わり、元気にさせていただくのです。
主と交われば交わるほど、元気になっていきます。
毎日毎日主との交わりをしなければ、飢え渇いてしまうのです。
いつも主に拠り頼み、主の喜ばれることを行う中で、
神様からの素晴らしい恵みをもらう者とならせて頂きましょう。
02/10/2007

みことばを聞いてそれを悟る人  マタイ13:1-9

 
 
別の種は良い地に落ちて、あるものは百倍、あるものは六十倍、
あるものは三十倍の実を結んだ。耳のある者は聞きなさい。
 
 
イエス様はここで、4つの地があることを示されました。
 
 
道端に落ちた種は、落ちても跳ね返されてしまいます。
御言葉を聞いても、はじき飛ばして、悪魔に取られ、結局何も変わらないのです。
 
土の薄い岩地に落ちた種は、すぐに芽を出します。
つまり、御言葉を聞くと非常に反応が良いのです。
しかし、根がないため長続きしません。
困難や迫害がくると、すぐにつまづいてしまいます。
熱しやすく冷めやすいので、実を結ぶことができないのです。
 
いばらの中に落ちた種は、御言葉を聞いても
この世の心遣い、富の惑わしがそれをふさいでしまうのです。
人の言葉、様々な状況、身の回りのこと…色々なことを考えると、
せっかく御言葉を聞いても、心がふさがれてしまい、実を結ぶことができないのです。
 
良い地に落ちた種は、百倍、六十倍、三十倍の実を結ぶと、聖書は教えています。
聖書は、御言葉の"乳"と言われています。
牛は、草を食べて、それが代謝されて牛乳となります。
私たちは、草を食べることはできません。消化できないからです。
しかし牛乳なら、消化することができます。
私たちは、何とか自分の力で頑張って物事を行うのではなく、
御言葉の乳を飲み、聖書を通して主が何を語られているのかを
霊的に悟ることが大切なのです。
主はその中で、素晴らしい恵みを、毎日毎日与えて下さるのです。
 
アブラハムは夜、主から呼ばれて、「空の星を見なさい」と言われました。
そして、たくさんの星を見上げる中で、「あなたの子孫は、このようになる。」
と宣言されました。
私たちも、この恵みを頂くことができます。
聖霊に満たされて、耕された良い地となって、多くの実を結ぶ者とならせて頂きましょう。