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20/10/2006

福音を届ける   ローマ10:13-21

 
 
そのように、信仰は聞くことから始まり、
聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。
 
 
イエス様は、伝道に賭けた3年半の間、一日たりとも
福音を宣べ伝えなかった日はありませんでした。
しかし、そのような中でもすべての人が福音に従ったわけではありませんでした。
 
神様は、あえて私たちを選んで下さいました。
今、私たちが救われていることは素晴らしい祝福であり、恵みなのです。
 
私たちは、物質的な豊かさ=(イコール)祝福であると考えがちです。
しかし、富の所有の執着によって、永遠の命を損なってしまうことがあるのです。
マタイ19章では、ひとりの青年が、永遠の命を得るためには
どんな良いことをしたらよいのかとイエス様に尋ねましたが、
それに対する答えは、持ち物を売り払って貧しい人に与えなさいというものでした。
この青年は、その言葉に従えず、悲しんで帰ってしまいました。
沢山の富を持っていた彼に欠けていたのは、貧しい人に対する愛と、主にすべてを明け渡す心でした。
 
 
このように、現実の中で反応して、留まってしまうことはないでしょうか。
イエス様を信じ、救われた私たちには、この「福音を伝える」という責任があるのです。
ありとあらゆる方法を通し、福音を伝えていくのです。
 
今まで福音を聞いたことのない人が、福音を聞くことができるように、
今まで信じたことのない人が、イエス様を信じることができるように、祈って取り組んでいくのです。
相手の反応や状況をうかがうのではなく、主に目を向けて福音を伝えていくのです。
 
 
私たちが人々の所に出て行く足を、主は見て下さいます。
主によって、全てを強めさせて頂くのです。
 
今週も福音を届け、私達の周りの人、出会う人が、イエス様を信じることができますように…。
13/10/2006

話さないわけにはいかない  使徒4:1-22

 
 
私たちは、自分の見たこと、また聞いたことを、
話さないわけにはいきません。
 
 
…死んだ人(イエス・キリスト)が生き返った。蘇った。
   また、病人が癒された。
   このような非常識なことがまかり通ってよいのか…。
 
ペテロとヨハネは、そのようなことで取調べを受けていました。
しかし、そのような中でも二人は、
「私たちは、自分の見たこと、また聞いたことを
話さないわけにはいかない。」と力強く言われました。
 
福音を伝えるというのは、どのようなことでしょう。
それは、聖書の恵みをそのまま伝えること、
一番は、まさに自分自身が体験したことを、そのまま伝えることなのです。
 
人の証しを聞いて、それを信じるということもあるでしょう。
12節には、「この方以外には、だれによっても救いはありません。」と書かれていますが、
イエス・キリストを信じる信仰によってでしか、天国に入ることはできないのです。
また、信仰による祈りは、病む人を回復させることができます。
生まれつき足なえの人が、イエス様の御名によって癒されました。
イエス・キリストを信じる信仰によってのみ、このことがなされたのです。
 
 
イエス様は、この足なえの人に限らず、どんな人も癒し、新しい命を与え、
また、人を潤す命の水を与えて下さるお方なのです。
 
人の言葉は、時として人を傷つけます。
しかし、人の言葉に振り回されるのではなく、
神様の言葉を聞きながら生活していくのであれば、
私たちはどのような状況の中でも恵みを頂くことができます。
 
 
イエス様は、「恐れるな。私はあなたとともにいる。」と語られました。
イエス様の声を聞きながら、聖霊を通して交わることができたら、どんなに素晴らしいことでしょうか。
 
そこに、神様の愛があふれているのです。
06/10/2006

キリストを宣べ伝える  Ⅱコリ4:5-6

 
 
私たちは自分自身を宣べ伝えるのではなく、主なるキリスト・イエスを宣べ伝えます。
私たち自身は、イエスのために、あなたがたに仕えるしもべなのです。
 
 
私たちは神様に愛され、天国に入る恵みにあずかった「神の家族」です。
この大きな愛を受けていながら、人に愛を示していないことはないでしょうか。
神様は、罪人の私たちを愛して下さり、一方的なあわれみで救って下さいました。
この素晴らしい神様を、あらゆる方法を用いて、宣べ伝えていきましょう。
これは、神様が私たちに与えて下さった使命です。
「自分はこれができる」というような、何か自分が素晴らしいものであるかのように
生活していくのではなく、イエス・キリストの愛を、救いを、周りの人々に伝えていくのです。
 
私たちに魅力がなくても、私たちの内におられるイエス様があまりに素晴らしい方なので、
そのイエス様が働かれる時、多くに人に伝道することができます。
有能な伝道者であったパウロは、素晴らしい経歴を持った人でしたが、
そのようなものを誇るのではなく、ただイエス様の十字架を誇りとしていました。
持病のゆえ、弱さも持っていましたが、その弱さを通して神様に近づくことができ、
新しく造り変えられることを知っていたのです。
 
神様の前に出る時、神様が私たちの心に光を照らされるので、
心の中の罪や汚れが明らかになります。
それを見て苦しむのではなく、だからこそ神様を必要として歩むことができること
を感謝して、主の前にひざまずいて、祈り求めていくのです。
その時、その弱さを通して主の栄光が現されます。
弱さを通して救い主イエス様に目を向け、内におられるイエス様に輝いて頂き、
その光によって、多くの人がイエス様の救いにあずかることができるよう、期待していきましょう。