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19/01/2007

罪の奴隷から神の奴隷に  ローマ6:15-23

 
 
しかし今は、罪から解放されて神の奴隷となり、
聖霊に至る実を得たのです。
その行き着く所は永遠のいのちです。
 
人間は、何かの奴隷になっている…と言われています。
奴隷というのは、主人に徹底的に従う、言われたとおりにしていくものです。
パウロは、このことを、私たちの罪の状態に置きかえて、語られました。
それをやってはいけないと分かっていても、罪の中で振り回されてしまう
…これが、「罪の奴隷」の状態なのです。
 
テレビや何かの娯楽の奴隷になっていることはないでしょうか。
または、妬みなどの感情の奴隷になっていることはないでしょうか。
そのようなものの奴隷になるのではなく、
聖書の御言葉で養われ、励まされ、実を結ぶことができたら幸いなのです。
 
 
同時に二人の主人に仕えることはできない、と聖書は教えています。
様々な罪から解放されて、イエス様の愛の奴隷となっていくことが恵みなのです。
愛によって力を受け、愛によって成長することができるのです。
 
サマリヤの女性は、五人も夫を変えましたが、
心の中には何の喜びも力も湧いてきませんでした。
快楽の奴隷になっていたこの女性の渇きを止めたのは、
イエス様でした(ヨハネの福音書4章)。
 
イエス様は、罪の奴隷であった私たちを解放し、自由にして下さいました。
主の恵みを信じて、御言葉の約束を信じて、感謝して前進していく、
これこそが自由な歩みなのです。
 
 
「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、
私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」(ローマ6:23) 
イエス様は、すべての人々のすべての罪から解放して下さるお方です。
このイエス様とともに歩み続ける…これが、祝福の道なのです。

 
12/01/2007

恵みの下に生きるⅡ  ローマ6:1-14

 
 
なぜなら、あなたがたは律法の下にはなく、
恵みの下にあるからです。

神様は生きておられます。
そして、その神様に祈るのであれば、神様は私たちに答えて下さるお方なのです。
これは、一方的な神様からのプレゼントであり、恵みです。

私たちクリスチャンは、その与えられた恵みの大きさをおぼえ、
この恵みに留まることが大切なのです。
イエス・キリストを信じ受け入れ、バプテスマ(洗礼)を受けることによって、
私たちは神様の子供とされる特権にあずかることができるのです。
イエス様は、このことを本当に願っているのです。

ガラテヤ人への手紙3章27節には、このように書かれています。
「バプテスマを受けてキリストにつく者とされたあなたがたはみな、
キリストをその身に着たのです。」
ここでは、"キリストを着る"という表現をされていますが、
私たちはキリストをその身に着たもの、すなわち、
イエス様に覆って頂いた者であるということなのです。
自分が弱くても、足りなくても、罪を持っていても、
それらのことをイエス様に覆って頂くことができるのが恵みなのです。

クリスチャンの恵みは、イエス様と一つになることによって、
毎日毎日生き生きと歩むことができるということです。
これは、自分の努力や頑張りではなく、イエス様から与えられる恵みなのです。

皆さんには、夢があるでしょうか。
自分の願い…ではなく、神様から与えられたビジョンを
熱心に求めて祈り続けるのなら、神様は必ずそのことを保証して下さり、
豊かな恵みで満たして下さいます。

今年の御言葉として、ローマ6:14が与えられました。
2007年は、神様が与えて下さる恵みをよく知り、
それがどれほど大きなものであるかをおぼえ、
信仰をもって祈って取り組む一年とさせて頂きましょう。

 

04/01/2007

恵みの下に生きる   ローマ6:14

 
 
なぜなら、あなたがたは律法の下にはなく、
恵みの下にあるからです。
 
 
私たちはもともと、律法の下に置かれています。
律法のゆえに裁かれ、また律法のゆえに他人を裁き、
「あの人はこんな具合だからダメだ。」と他人を責め、
また「自分はダメだ」と自分を責めるのです。
 
「これをしなければいけない。」「これをしてはいけない。」
このような具合に、心が縛られているのです。
悪魔は、私たちが罪を犯したとき、私たちを責め続け、
また、私たちを縛り続けます。
 
しかし聖書は、律法ではなく、恵みの下に生きることを教えています。
イエス・キリストを信じ受け入れた時、律法の下ではなく、
恵みの下で生きる者と変えられるのです。
「あなたの恵みを感謝します。」「最善に導いておられることを感謝します。」
…これが、恵みの下に生きる考え方です。
 
聖書は、私たちが"生きている"ことが問題だといっているのです。
私たちが、律法に"死ねば"よいのです。
 
 
ガラテヤ2:20には、
「私はキリストとともに十字架につけられました。
もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちにいきておられるのです。」
とあります。
私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられる
…律法のすべてから解放されている・・・これが聖書の教える福音なのです。
 
 
十字架につけられたということは、もう身動きができない、死んだ状態なのです。
何かあるとすぐに落ち込んだり、また有頂天になったりするのは、
私たちが死にきれてない、自我が生きている状態なのです。
 
 
今日、皆さんはどうでしょうか。
傲慢、挫折、自我、肉…そのような「死にきれていない状態」であるのなら、
聖書が教える正しい恵みをよく知り、イエス・キリストと結ばれる必要があるのです。
 
赦しを与え、恵みを与え、愛を与えて下さるお方、この方こそイエス・キリストなのです。